ゴッホの手紙(6)
絵の仕事だけが「救い」 前回は、ゴッホの「耳に包帯をした」自画像を取り上げて、「創造」の意味と動機について説明しました。その自画像は、ゴッホがおのれの「狂気」を「意識」で見張ることによって自分の内から出発していた、とい…
絵の仕事だけが「救い」 前回は、ゴッホの「耳に包帯をした」自画像を取り上げて、「創造」の意味と動機について説明しました。その自画像は、ゴッホがおのれの「狂気」を「意識」で見張ることによって自分の内から出発していた、とい…
「巨きな眼」 前回は、「恐ろしい様な透視力」がゴッホに宿った原因が、ゴッホがおのれの「狂気」を直視したことにあった点を証明しました。今回は、引き続き「狂気」と「創造性」の関連を証明するべく、ゴッホの手紙と作品について考…
「恐ろしい様な透視力」 前回は、ゴッホの「創造」の論理に関して、次の点を確認しました。小林秀雄によれば、おのれの「狂気」を直視することは、「合理的(客観的)説明」とは逆なのです。今回は、自分の「狂気」を直視することによ…
入院の教訓 前回は、小林秀雄の議論に基づいて、精神医学や心理学のような「合理的説明」は、ゴッホが「狂気」を「創造性」にまで高めえた本質的理由にはならない、と論じました。今回は、病気に対する態度を自分で決することや、病気…
なぜ小林秀雄なのか 今回からは、前回の内容を踏まえて、精神疾患と創造性の関連性について、深く掘り下げて検討していきます。この関連性を中核に据えて考察したのが、小林秀雄です。実際小林は、次のような、ゴッホに関する、ドイツ…
他殺説への違和感 本シリーズの目的は、画家・ゴッホの手紙に関する、評論家・小林秀雄の考察を取り上げることによって、「狂気」を「創造性」にまで高めうるという仮説について検証することです。この初回記事では、ゴッホとその手紙…
自ら「主体性」の意義を否定してしまう 前回は、「現実主義者」である高坂正堯の論文を検討して、「戦後平和主義者」である吉野源三郎の問題点を明らかにしました。シリーズ最終回の今回は、「戦後平和主義」という社会科学的認識の問…
人間を信じる 前回は、吉野源三郎の議論の核心を批判的に検討して、国内では権力闘争を認めておきながら、国際社会では認めないのかという問題点を指摘しました。その際に、「現実主義者」の議論を参考にしましたが、今回は、高坂正堯…
コペル君と「友敵関係」 前回は、吉野源三郎の議論の前提に「性善説」があることを踏まえて、「理性的」な個人の倫理観が普遍的に行き渡ることを想定しているという問題点を指摘しました。今回も引き続き、この点を批判的に検討します…
批判的視点 前回は、吉野源三郎の議論の前提にある「性善説」について、その論理を詳しく検討しました。人間は“善き存在”なので「信じる」ことに賭けるという議論においては、自分と同じように他者が考えると、本当に信頼してよいか…