なぜ小林秀雄なのか
今回からは、前回の内容を踏まえて、精神疾患と創造性の関連性について、深く掘り下げて検討していきます。この関連性を中核に据えて考察したのが、小林秀雄です。実際小林は、次のような、ゴッホに関する、ドイツの哲学者・ヤスパースの分析を引いています。
「病気は、勿論、ゴッホにとって、仕事の上で大きな障碍だったに違いないが、現に存する彼の作品は、病気という条件がなければ、恐らく現れなかったであろうと考えざるを得ない様な、或る特異な精神の形態を充分に示している、〔中略〕病気という機縁によって、病気がなければ、恐らく隠れたままで止ったゴッホの人格構造の深部が、彼の自我の正体が、露呈されて来ると言うのである」〔ルビ――勿論(もちろん)、障碍(しょうがい)〕(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、86頁)。
ここで興味深い点は、次のような「反事実」(反実仮想)がなされていることです。すなわち、仮にゴッホが精神を病んでいなければ、あのように名高い作品を創ることはできなかったであろう、と。
小林が考察しているように、ゴッホらしい色彩の作品の多くが制作されたのは、フランスのアルルに移住して、精神疾患の症状に悪化が見られた後です。時系列で言えば、自分の耳を切って精神病院に入退院してから、自殺するまでの1年ほどの間に、ゴッホは『ひまわり』などを制作したのです(同上、293頁)。
実際、別稿にて論じますが、ゴッホ自身がこの時期に、「恐ろしい様な透視力に見舞われている」と、手紙に書いています。いずれにしても、筆者が小林のゴッホ論を検討対象とする理由は、小林がゴッホの精神疾患と創造性の関連性の本質に迫ろうとしているからなのです。
ゴッホと小林の精神医学・心理学批判
小林によればヤスパースは、精神疾患と創造性の関連性を認めるという考えを、次の点を前提として述べています。それは、「病気という事実」は、「病人の作品の意味とか価値」に関して、「何事も語らない」、という点です(同上、86-87頁)。
精神疾患の人は大勢いますが、精神疾患だからといって、必ずしも創造的行為をなすとは限らないのです。それでは、なぜゴッホの場合、「狂気」なのにもかかわらず、「創造」を成し遂げることができたのでしょうか。
小林は、ゴッホの手紙を手がかりとして、その答えを提示しています。たとえば心理学は、「無意識」の分析を通じて問題にアプローチしているけれども、このような「合理的」(客観的)な説明は、精神疾患であったゴッホが創造的たりえた本質的理由の説明にはならないのです。
「病気に対して、普通の意味で、冷静な客観的な立場で臨む、という事が、彼は言いたいのではない。そういう事なら医者にまかせて置けばすむ事だ。医者にまかそうにも、まかせられないものは、彼自身の生活態度である。健康であるか、病気であるか、とは、彼の場合、無論、正気であるか、狂気であるか、という意味であって、これは、全然比喩の意味ではなく、二つの異なった人格の交替に、堪えて生きて行くには、如何に決意すべきかを、彼は語っているのです」〔ルビ――如何(いか)〕(同上、297頁)。
「正確な心理分析、よろしい、だが、私に必要なのは、寧ろその逆のやり方だ、と言っているのです。病気の原因とは何か。それは意識を手がかりとして、無意識の底流を合理的に再構成してみる事ではないか。そして、そこに病気の原因という言葉を得る。言葉は正確なほどよろしい。私は、その言葉を必要なら信用もしよう。だが、それが限度だ。狂気という重荷を背負った一人の画家の生きて行かねばならない意味は何処にあるのだろう」(同上、298頁)。
要するに、ゴッホは、医者の助言には従うけれども、病気に対する“態度”は自分で決める、と論じたのです。つまり、精神疾患を罹患した“意味”を見い出すのは、自分自身なのだということです。
なお、小林は、ゴッホの手紙の考察を通じて、次のように結論づけています。「彼の芸術と彼の精神病とは深い関係がある事は否定出来ない」。だとすると、ゴッホの精神病に関する研究は、「ゴッホの芸術の理解を深めるという方向を取らないものなら、意味のない仕事でありましょう」(以上、同上、294頁)。
次回は、ゴッホと小林が精神医学と心理学を批判した理由、すなわち、ゴッホが「狂気」を「創造性」にまで高めえた本質について、より詳しく検討していきましょう。