絵の仕事だけが「救い」
前回は、ゴッホの「耳に包帯をした」自画像を取り上げて、「創造」の意味と動機について説明しました。その自画像は、ゴッホがおのれの「狂気」を「意識」で見張ることによって自分の内から出発していた、ということを示しています。小林秀雄が感じた「巨きな眼」の原因は、この論理に求めることができるのです。
さて、このシリーズでは、小林の論理に従って、「狂気」を「創造性」にまで高めるにはどうすべきかについて考えてきました。今回は、これまでの内容を踏まえて、ゴッホにとって絵を描くこととは、まさに「己を知る」ことであった点を証明します。
ゴッホは、「耳切り事件」の後、入退院を繰り返します。ゴッホの弟の妻・ボンゲルによれば、たしかに、サン=レミの療養院には自分の意思で入院したようです(ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』東京書籍、2020年、179、185頁)。しかし、ゴッホは最終的に、精神病院を批判する中で、自分がなすべきことを再確認することになります。
たとえば、ゴッホは手紙の中で、次のように書いています。「この病院の治療法は、実に呑気なものだ。これでは、旅行中でも治療は受けられるよ。つまり治療なぞ全くしてくれてはいないのだ。〔中略〕僕も、発作は又来るものと思っているが、ただ仕事だけが僕の心をすっかり奪う」〔傍点――してくれてはいない〕(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、154-155頁)。
「如何にすべきか、治療法などないのである、もし一つでもあるなら、それは仕事に熱中するだけだ」(同上、148頁)。「僕の恢復の為には、絵の仕事が先ず一番の薬だ」(同上、144頁)。
いずれにしても、絵を描いているとき、ゴッホは「正気」なのです。ゴッホからすれば、自分は狂っていたが、今は創造的(理性的)行為をなすことができているという歓びなのです。つまるところ、おのれの「狂気」を「意識」で見張るという、自画像の視点なのです。
「彼の手紙を読んで、狂気との戦のあとを追って行くと、この〔自画像の――中西〕視点を失うまいとする努力が、精神の集中と緊張とによってこの視点を得ては失い、失っては得る有様が、手に取る様に感じられるのです。絵の仕事だけが、彼の救いであった。彼は、仕事を自分の指導者と呼んでいる。絵を描くという精神の集中による行為しか、彼に、この視点を保証してくれるものはないと彼は信じた。彼の作品は、その意味でことごとく自画像であったと言ってよい」(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、300頁)。
「分裂した自我を直視する視点」
小林は、「狂気」と「正気」という視角で、ゴッホの手紙を考察していきます。少し引用が長くなりますが、先月刊行された新潮文庫版を参考にして、この点を確認していきましょう。
小林によれば、ゴッホは、「サン・レミイの病院に入院の決心をした頃には、〔中略〕はっきりとした病識を持っていた」。そのため、「絵はすべて病気との戦の意識の結実」で、「手紙は、狂気の合い間に正気の絵を描かねばならなくなった異様な人間の記録として鬼気迫るものがある」(以上、小林秀雄『ゴッホの手紙』新潮社、2020年、220-221頁)。
「これは、無論、正気の時でなければ、仕事が出来なかったというような簡単な事ではない。自己が完全に分裂したという苦しい意識を、もう逃れる事が出来なくなったという事だ。正気と狂気との交替にどうして堪えて生きる事が出来るか、分裂した自我を直視する視点をどうしたら捕えられるか。これは、『眼もくらむばかりの危険を冒すのと全く同じ事だ』と彼は、手紙で告白している。画家の絵による自己表現という尋常な意味合いは、ゴッホが真にその傑作を描き始めた時には、もはや彼を去っていたのだ。絵を描くとは、彼に言わせれば、何処から落下して来るか解らぬ狂気に対する避雷針を持とうとする努力であった。無論、雷が避けられるかどうかは、彼には疑わしい事であった。だが、万が一、これを避ける事が出来るとすれば、逃避によってではない、出来るだけこれに近附いて、その来襲を直視する、緊張した意識によってであると彼は考えた。彼の傑作はみなこの『目もくらむような』視点の表現であった。静物であれ、風景であれ、実は自画像であった。狂気の時に耳を切り、正気に返って、耳に繃帯した男を描き、このゴッホと呼ばれている奇怪な自己とは何か、と問わねばならなかった、その問いそのものであった」(同上、231-232頁)。
自己の存在理由を問う
要するに、「意識」の力で自己の存在理由を問うことが、「創造」的行為を成し遂げるためには不可欠であったということです。この点を力説するために、小林は、「耳に包帯をした」自画像を再び取り上げています(以下、同上、236-237頁)。
「ここに、自らも世間もゴッホと呼んでいる世にも奇怪な存在がある。何物かが来て突然その理性を奪い、理性が戻って来るに関してもその理由を解し得ないゴッホという人間は、一体何者なのか。正気と狂気との交替を生きねばならぬという明瞭な意識だけが、信ずるに足るものなのか。自画像を描いている時のゴッホの凝視力とは、精神の集中とは、そういう問いに他なるまい。この問いの力が、耳に繃帯をした或る男という全く特異な対象の形を、見て見抜き、言わば、その背後に突き抜けて了うのです。突き抜けて、誰も彼もがそれと気付かずに立っている生の普遍的な基盤、生きている或る定かならぬ理由に触れて了うと言っていいように思われる。ここに、芸術家の個性というものの一番興味ある働きがある、と私は解します。問う人が少いのです。もし強く執拗に自己に問うなら、誰も正気などと安心していられないのが自己の姿ではないでしょうか」。
要するに、精神疾患の「狂気」という個性を、「意識」の力で征服して乗り越えるべく、“自分とは何者か”を問い詰めたところに、ゴッホという人間の「真の個性」があるということなのです。
無論、ゴッホが「自分の意志に反しての狂人」(ヤスパース)であったからこそ、彼の自己意識は鋭く磨ぎすまされたのでしょう。ただ、今回確認すべきは、以下の点です。それは、分裂した自我を直視して、「己を知る」ことによって、「狂気」を「創造性」にまで高めることが可能になるという点です。