これから

太宰のようだと言われた作家の作品を手に取ったものの、やはり太宰ではなかった。 太宰は太宰であって、賞を受賞している有名な作家でさえ、太宰ではありえないのだ。 かなりがっかりする。彼のような生き様ではないからだ。 もちろん…

再考・『君たちはどう生きるか』(12)

自ら「主体性」の意義を否定してしまう  前回は、「現実主義者」である高坂正堯の論文を検討して、「戦後平和主義者」である吉野源三郎の問題点を明らかにしました。シリーズ最終回の今回は、「戦後平和主義」という社会科学的認識の問…

再考・『君たちはどう生きるか』(11)

人間を信じる  前回は、吉野源三郎の議論の核心を批判的に検討して、国内では権力闘争を認めておきながら、国際社会では認めないのかという問題点を指摘しました。その際に、「現実主義者」の議論を参考にしましたが、今回は、高坂正堯…

再考・『君たちはどう生きるか』(10)

コペル君と「友敵関係」  前回は、吉野源三郎の議論の前提に「性善説」があることを踏まえて、「理性的」な個人の倫理観が普遍的に行き渡ることを想定しているという問題点を指摘しました。今回も引き続き、この点を批判的に検討します…

再考・『君たちはどう生きるか』(9)

批判的視点  前回は、吉野源三郎の議論の前提にある「性善説」について、その論理を詳しく検討しました。人間は“善き存在”なので「信じる」ことに賭けるという議論においては、自分と同じように他者が考えると、本当に信頼してよいか…

再考・『君たちはどう生きるか』(8)

「信じる」ということ  前回は、吉野源三郎の小説の論理を批判的に検討しました。簡潔に言えば、謝罪の手紙によって友だちと和解できたわけではなかったという、構成に関する問題点を指摘しました。今回は、吉野の議論の前提にある「性…

再考・『君たちはどう生きるか』(7)

「友情」という結論  前回は、吉野源三郎の議論の“前提”には、「性善説」があることを証明しました。たしかに、人間が元来“善き存在”であることの裏側には、過ちを犯して悲しむというリアルな人間像があります。それでも、「性善説…

再考・『君たちはどう生きるか』(6)

「絶望」から「真実」を見い出す方法  ここまで、丸山真男の考察を参考にしながら、次のことを検討しました。すなわち、コペル君が友達を裏切る「決定」をしてしまったけれども、友達に謝罪する手紙を自分から出すという「決定」を行っ…

再考・『君たちはどう生きるか』(5)

おじさんとの対話  前回は、コペル君が友達を裏切ったという「決定」について検討しました。今回は、前回予告した通り、コペル君が自分から謝罪の手紙を友達に出したという「決定」について、詳しく検討します。筆者の最終目的は、後に…

再考・『君たちはどう生きるか』(4)

自らの「真実」をつかむために  前回は、丸山真男の論考を読み解くことによって、「絶望」から「真実」をつかむためには、自分の「弱さ」だけでなく、「自分の行動を自分で決定する力」をも「内省」する必要があるということを論じまし…