人間を信じる
前回は、吉野源三郎の議論の核心を批判的に検討して、国内では権力闘争を認めておきながら、国際社会では認めないのかという問題点を指摘しました。その際に、「現実主義者」の議論を参考にしましたが、今回は、高坂正堯の議論を検討することによって、「戦後平和主義者」である吉野の議論の問題点をさらに浮き彫りにします。
まず、吉野がどのような意図で、人間を信じることに賭けるという点を強調したのかについて、改めて確認しておきましょう。
たしかに、人を信じることには、危険が伴います。なぜなら、人間は悪事を働くこともできるからです。しかし、吉野によれば、人間を信じないのであれば、「物としておたがいにあつかいあうのと異ならなくなってしまいます」。人間を信じることに賭けるという「証明を求めない選択」によってのみ、「人間的な関係を自分のまわりに作ってゆけるのです」(以上、吉野源三郎『人間を信じる』岩波書店、2011年、38-39、42-43頁)。
ただ、吉野の問題は、様々な価値体系(正義)が存在する中で、「自分と同じように、他者も人間を信じるのか」という批判について、十分な反論を提示できていないことです。この問題点を言い換えると、前回検討したように、国際社会における「権力政治」に関する理解が不十分だということです。
以前に検討したように、吉野は、「人類の進歩」に貢献する人のみが「本当に尊敬できる」人だという議論を展開していましたが、「人類の進歩」に貢献する人物がどういう人物かと言えば、「権力のために権力をふるう」ようなことをしない人物だ、ということになります(拙稿「再考・『君たちはどう生きるか』(9)」を参照ください)。
「本当に尊敬できる」人が、歴史上存在してきたことは、事実でしょう。しかし、そうではない人もまた多いからこそ、世界から戦争はなくなっていないのです。
「現実主義者の平和論」
さて、「戦後平和主義者」の問題点を明確にするために、「現実主義者」の議論を検討します。検討するのは、高坂正堯の論文「現実主義者の平和論」(1963年)です。
中西寛が解説しているように、「戦後日本の論壇は、進歩派知識人が圧倒的な比重を占めていた。彼らは戦後日本の理念として平和主義を掲げ、憲法九条こそその真髄であるとして、軍備や同盟は好戦的であり、平和の破壊につながるとして拒絶していた」(高坂正堯『海洋国家日本の構想』中央公論新社、2008年、4頁)。
吉野源三郎が編集長を務めていた雑誌『世界』は、「平和主義」の代表例です。たとえば、『世界』は1950年に、平和問題談話会の「三たび平和について」を公表して、「全面講和論」の立場を明確にしました。吉野によれば、「現実にさし迫った課題である講和について、日本人として願望する全面講和は中立主義でなければ成立し得ないわけです」(吉野、前掲書、249頁)。
また、安保改定期には、坂本義和による論文「中立日本の防衛構想」が、1959年に『世界』で掲載されました。このように、『世界』は、「安保体制からの脱却」「安保体制に代わるもの」を目指していたのです(同上、274頁)。
高坂論文の内容については後述しますが、先に確認しておくべき点があります。それは、中西寛が指摘するように、「高坂が真に批判し、かつ対話を求めていたのは、ハーバード大学留学中に議論した丸山ではなかったかということである」(高坂、前掲書、9頁)。
いずれにしても、以上のような背景を踏まえると、高坂の論文を検討することによって、吉野と丸山の問題点を明確にすることが可能になるのです。
権力政治の認識
それでは、吉野・丸山批判を意識しながら、高坂正堯の「現実主義者の平和論」を検討しましょう。まず、論文の組み立てを確認して、次に、「理想主義」(戦後平和主義)批判の論理を抽出します。
高坂は、「理想主義」の意義は、「価値の問題を国際政治に導入したこと」だと評価します。そして、高坂は、「極東における緊張緩和」という価値(目的)の「重要性は明らか」なのであるから、「ここにこそ、現実主義と理想主義の出会うところがあるのではないだろうか」、と論ずるのです(以上、同上、9-12、21-22頁)。
次に、高坂の「理想主義」批判の論理は、論文の冒頭にまとめられています。「もし、われわれの権力政治に対する理解が不十分ならば、われわれの掲げる理想は、実体を欠く架空のものとなってしまうのである。過去十年以上にわたって続けられてきた中立論を検討するとき、こうした疑問を感ぜざるをえない」(同上、5頁)。
具体的に高坂は、主に坂本義和の中立論を批判する際に、以下のような理由を挙げています。「何故なら、米軍の日本撤退によって勢力均衡が崩れることは、戦争の危険を減ずるものではなくて、むしろそれを増すものである」(同上、17頁)。また、「何故なら、中立は先に述べたように極東の勢力均衡を破り、権力政治的な平和に波瀾を起す恐れがある」(同上、20頁)。
かくして、高坂は、次のように結論づけます。「日本の安全保障を与える方法として、今のところ中立論者たちが提出しているものは、安保体制よりも、より現実性の少ないものであることは否めない事実である」〔傍点――より現実性の少ないもの〕(同上、9頁)。
目的と手段との間の生き生きとした会話
最後に、吉野・丸山批判との関連で重要な指摘を挙げておきます。
「問題は、いかにわれわれが軍備なき絶対平和を欲しようとも、そこにすぐに到達することはできないということである。〔中略〕重要なことは、この権力政治的な平和から、より安定し日本の価値がより生かされるような平和に、いかにスムースに移行していくかということなのである」〔傍点――すぐに、いかにスムースに〕(同上、15頁)。
高坂にとって、「中立ということもまた、絶対平和という窮極目的の達成にいたる過程の一つの目標に過ぎない、いわば目的のための手段に過ぎない」のです(同上、20頁)。ところが、権力政治の認識を欠き、手段の議論を詰めて考えていない理想主義者は、「手段と目的との間の生き生きとした会話」〔傍点〕が欠如しているということなのです(同上、16頁)。
いずれにしても、以上のような高坂の「現実主義」に立脚した議論は、「理性的」な個人の倫理観が万人に普遍的に行き渡ってゆくという、吉野の「理想主義」的な考えに対する、本質的な批判だと言えるでしょう。