再考・『君たちはどう生きるか』(8)
「信じる」ということ 前回は、吉野源三郎の小説の論理を批判的に検討しました。簡潔に言えば、謝罪の手紙によって友だちと和解できたわけではなかったという、構成に関する問題点を指摘しました。今回は、吉野の議論の前提にある「性…
「信じる」ということ 前回は、吉野源三郎の小説の論理を批判的に検討しました。簡潔に言えば、謝罪の手紙によって友だちと和解できたわけではなかったという、構成に関する問題点を指摘しました。今回は、吉野の議論の前提にある「性…
「友情」という結論 前回は、吉野源三郎の議論の“前提”には、「性善説」があることを証明しました。たしかに、人間が元来“善き存在”であることの裏側には、過ちを犯して悲しむというリアルな人間像があります。それでも、「性善説…
「絶望」から「真実」を見い出す方法 ここまで、丸山真男の考察を参考にしながら、次のことを検討しました。すなわち、コペル君が友達を裏切る「決定」をしてしまったけれども、友達に謝罪する手紙を自分から出すという「決定」を行っ…
おじさんとの対話 前回は、コペル君が友達を裏切ったという「決定」について検討しました。今回は、前回予告した通り、コペル君が自分から謝罪の手紙を友達に出したという「決定」について、詳しく検討します。筆者の最終目的は、後に…
自らの「真実」をつかむために 前回は、丸山真男の論考を読み解くことによって、「絶望」から「真実」をつかむためには、自分の「弱さ」だけでなく、「自分の行動を自分で決定する力」をも「内省」する必要があるということを論じまし…
丸山真男の「内省」 前回は、丸山真男の「解説」を直接引用しながら、その「構図」を抽出しました。モラルに関わる個人的な経験を社会科学的認識にまで持ってゆくという「構図」から引き出されるのは、「主体性」という課題でした。今…
丸山真男の考察における「構図」 最初に、前回の内容をおさらいします。前回の記事では、コペル君が「絶望」から「真実」をつかんだことを証明するべく、小説の著者である吉野源三郎の経歴を明らかにしました。実は、吉野自身が、「絶…
なぜ取り上げるのか 表題の通り、記念すべき最初のシリーズでは、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を取り上げます。1937(昭和12)年に出版された同書は、2017年に漫画化されてベストセラーとなっており、現在同書の再評…
精神疾患の罹患によって経験した強制入院は、いっそうの精神的な苦痛を味あわせるものでした。たしかに、他の患者さんとの出会いや「認知行動療法」は、新たな発見でした。しかし、それ以上に、常に監視下に置かれて、何をするにも病院…