理論と現実

私が、研究から評論に移るにあたって、精神病院に入るという大きな「経験」をしました。それは、理屈ではなく、身体で感じるものでした。「気違い病院」で涙した経験は、人生を決するものであったと言っても、過言ではありません。 結果…

輸入学問

私にとって、「生活経験を教養にまで高める」とは、具体的にどういうことなのか。拙著では、小林秀雄の議論を参考にしながら、おのれの内に潜む「狂気」を見つめることによって、「歴史」「自然」と出会うという結論を導きました。 もち…

本当の自分

最近の本の中で、よく目にする言葉がある。それは、「本当の自分」はひとつ(ひとり)ではない、という言葉だ。ああそうなのか、と納得しそうになる時もある。 私は、昔から、何かやりたいことを探してきた。それは、今になって考えると…

身体で感ずる

最近、太宰治に共感するところがあって、学者のことを批判的に書いている。ただ、その私自身がかつては、若手研究者の立場にあったので、彼らの文章をかなり読んで影響されていたのは、間違いない。要するに、生活経験から学問にまで高め…

書くことは生きること

「なぜ文章を書いているの」と、よく知り合いから聞かれる。一直線にここまで来たわけではなく、途中で立ち止まっていたことも多いから、自信満々では答えられない。回り道をしても、なぜだか分からないが、いつも書くことに戻ってきた。…

あほらしい感じ

ずっと「書評」を書き続けてきましたが、今回は、これまで以上に「感想文」を書きます。根拠とか、しっかりしたものはなく、タイトルの通り、思った通りのことを、そのまま書きます。書かせてください。 今年1月末に、拙著が刊行されま…