本当の自分

最近の本の中で、よく目にする言葉がある。それは、「本当の自分」はひとつ(ひとり)ではない、という言葉だ。ああそうなのか、と納得しそうになる時もある。

私は、昔から、何かやりたいことを探してきた。それは、今になって考えると、自分で冷静に能力を見極めた上で目指したものではなく、メディアや交友関係の影響で決めていたものもあった。また、それが、金銭的に満足のいく仕事なのかとか、業界の規模はどうなのかとか、慎重に検討したとも言えない。

たとえば、野球選手、パイロット、研究者などであったが、どれも、他者から「不合格」の烙印を押されたものばかりだ。他人から客観的に見たら、目標を設定する時に、冷静に「自己分析」ができていないんだということになるだろう。さらに、「不合格」の原因は分かるのだが、今でもそれを直すことができそうもない。

それが、私なのだ。「これができなかった、あれもできなかった、これをやるしかない」。ひとつのものがダメでも、それが向いていないのが自分なのだ、と自分に言い聞かせざるをえなかった。私の「自分探し」の旅は、精神病院の入院という形で、決着がついたとも言える。

さすがの私も、かつて目標に向かって努力したことは、今につながっているんだというプラス思考に変えようとした。どこかで読んだ記事によれば、多面的な自分を持っている「カメレオン」人間こそが、現代では臨機応変に生き抜いてゆくことができるらしい。多様な分野を経験しておくと、長期的に見た場合、物事に対する捉え方や人生の幅が広がるかもしれない。

要するに、私とは違って、「本当の自分」にたどり着こうなどと考えずに、「あれもできる、これもできる」ようにしようという発想なのだ。

しかし、失敗者が懐かしく回顧するのもおかしいのだが、あの頃の根拠のない情熱は、もう手に入れられないのかもしれない。たしかに、楽天的すぎたのだが、失敗をおそれずに、前を向いて歩いていた。「不合格」の事態を想定して、保険をかけておくことは、燃え上がった情熱に水をかける行為のように思えていた。

私には、最近の本のように、器用なことができるだろうか。今取り組んでいる自分が、「本当の自分」ではないなどと、冷めた目で、割り切ることができるだろうか。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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