「問い」が生まれる時

「問い」が生まれるのは、ディレンマを感ずるときだ。そう思う。

何の不満や不平もなく、深刻な「問い」が生まれることはない。

私の言う「問い」とは、「心の叫び」だ。

お勉強が大好きで、最近ホットなテーマで、すごく関心があるんですぅ、みたいなのではない。

自分で執筆する時間を持ちたいが、生活するにはお金が必要で、教育関係の仕事をせざるをえない。

仕事をしたら、執筆の時間がなくなってくる上に、家事もこなさなければならない。

こうした一連の動作を、すべて調和させることができる人は、たいへんすばらしいことだと思う。

しかし、同時に、あまり面白くない人だなとも思う。

なぜなら、矛盾とその意識が少なくなるということは、なぜこんなことをしているのかという問題意識自体が弱まってゆくからだ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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