「伝統」とつながる

前回の話の続きになるが、ではどうすれば「伝統」とつながることができるのだろうか?

日本人である限りは、日本の伝統とつながりたいと考えるのは、自然であろうと思う。

「自分は何者か」という問いは、もちろん外国に行ってみたり、外国語を学んだりすることで、いっそう意識せざるをえない問いとして立ち上がる。

したがって、グローバル化が進む中においてさえ、否、よりいっそうこの問いに対して、私たちは敏感にならざるをえないのだ。

それなのに、私は、日本史を少し好きだったというだけで、これまでほとんど「伝統」とはつながっていなかった。日本庭園や寺院、そして水墨画など、美術館などを回って、本物を目にしてきたことはあるのだが。

「伝統」とつながるとは、自ら創造することからしか、生まれてこないのだ。

私が「創造」に寄与するとすれば、文章関連しか、今のところ、思い浮かばない。

ところが、古典や漢文ができないので、書き下し文あるいは日本語訳を読むしかない。

基本的には、文法をしっかりとしなければならないのでろうから、私は教養人と呼ばれるような類の人間ではない。

それでは、どうするのか、経験しかない。

ゴッホと太宰だけだ。この二人を通じて、歴史と交わろう。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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