「理解」するということ

相手を批判する前に、理解するように努めている。

クレーマーの言い分は、いったい何なのだろうか。理不尽なようではあるが、一応聞いてみる。

テロリストや自殺する人にとっては、生きていること自体よりも、死ぬ方が「合理的」になる。生きようとしている周りの人には、「非合理的」にしか見えないのだが。

だとすれば、何が理性的で、何が合理的なのか、誰が決めるとでも言うのか。

精神を病んだ人には、何が現実で、何が夢なのか、分からなくなってくる。

今生きている「人間」の常識は、死を持って表現しようとする者の前に、なすすべがない。

もしかすると、それが、「芸術」の本質なのかもしれない。

しかし、常識に今、私は立ち戻りかけている。

このまま、終わるのだろうか。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA