自問する

自戒の念も込めて言うのだが、偉そうに言うのはやめている。

言ってみて、恥ずかしい思いをしたことがあるからだ。

つい先日も、ある同級生の保護者さんとお話ししていると、なかにし君、高校の授業中にたばこ吸ってたよね、と指摘された。

その保護者さんの子どもが通ってくれているのだが、正直、よく来てくれているなと思う。

私だったら、自分の子どもを、そんな先生のところには通わせたくない。

さて、そんな奴に言わせてもらえば、説教できるような人は、よほどご自身に自信をお持ちなんだろうなと思う。

これまでの経験から言えば、そういう方々には、土地の所有者、安定した収入の社会人、実業家(ビジネスマン)が多かった。

彼らは、えらく自信満々なのだ。

言っていて、恥ずかしくならないのだろうか。

そして、自問する。自分も借地を耕して、テナントを借りて、経営をして生活する。

一般人の生活をしてみる。太宰治の中期みたいだ。

彼らと同じで、果たしていいのか?どこが違うんだ?

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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