一切収益が発生しないブログなので、好き勝手に書いているが、他人の名誉を毀損するようなことは、やめているつもりである。
ただ、偶然私と同じ経験をしていた太宰治を発見して、彼の苦悩をなぞっているだけである。
太宰のことは分かるのだが、私は太宰ではない。彼の苦悩を踏まえつつ、私とは何者かについて考えている。
さて、本日私は、ある失態をおかした。生活のためにしている仕事が終わった直後で、やや放心状態であったという言い訳はあるのだが、どうも私に非があるので、弁明しにくい。
トイレで手を洗った後に、唾を流しに出して、立ち去ろうとした。
ちょうど入ってきた、かっぷくのよい男性に、注意されたのだ。
私も身長は低いのだが、その私よりも低く、注意が恫喝ぎみであった。
コロナの時分であるから、もう一度手を出して、センサーに探知させて、水を出して、唾を流しておく必要はたしかにある。
もしかすると、コロナ問題以前に、「日本人の心」とかいうやつなのかもしれないが、どうも私は、そういう素質がなく、言葉遣いが荒いそのおじさん以下なのかもしれない。
洗面台が2つあるのに、別に見知らずの他人に、わざわざ説教をたれるなど、私は思いもしていなかった。
完全に私の常識のなさが引き起こした問題であるから、他者を非難する権利は持ち合わせていない。
知り合いの人たちが、そのトイレを使わずに、別のフロアのトイレを使っているのは、勘ぐりすぎかもしれないが、その人にもしかしたら、出会ったことがあるのかもしれない、と思わせるぐらいなのだ。
もちろん、繰り返すが、私に非があるのだが、それが分かっているなら、グチグチ言うなと、常識人は言うのだろう。
しかし、彼は明確に、人には厳しく、自分には優しいのだ。失礼ながら、体型が自分には「甘い」ことを物語っていらっしゃる。自分は正しいと思って譲らないのだ。
芸術家太宰は、ただ「人間」を批判したかったのではない。彼がいくらクズの文豪と言われようが、彼の罪深さは、誰よりも彼自身が自覚していたのだ。
この点は、強調してしすぎることはないと思う。