「読む」ということ

もうほとんど、新聞も論文も読まなくなった。田畑だけ耕している。

ただ、仕事をするときに、空気だけは読まなくてはいけないようだ。

さて、本題だが、昔博士課程に在籍していたとき、私の遅筆ゆえに、関係者から「叱咤激励」を受けたことがある。

あんな本を時間かけて読むなんて、お前暇だよな~、いいな~

みたいな感じだった。

業績が多いのは、別に悪いことではないのだが、その関係者たちに限って言えば、私とは本の読み方が違っていた。

彼らは、他者の考えに触れても、自分の経験と照らし合わせるという行為をしていなかった。

断りを入れておくと、私にはそのように見えた。

はしがきやあとがきで、一生懸命資料は探しました、苦労しましたとか書いてやがる。

私が読みたいのは、人生の「苦悩」が書いてある本だ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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