お金があれば、と考えることはあるが、一日一日が最後だと思うようになったので、卑屈になることはない。
お金があれば、宇宙に行くなり、大事業をやるなり、選択肢が広がることは、間違いないだろう。
他の人からみれば、道楽でも、高いお金を払わなければ得られないような経験は、きっとあるからだ。そのような恵まれた経験をした人たちは、その経験を社会に還元しようとするのかもしれない。
身近な、俗っぽい話になるが、親が子どもに習い事を休まないように言うとき、お金の話を出す親が多いことに、驚いた。
払っているのに行かないのは、もったいないということなのだろうか。
ところが、教える側がお金の話を出すのは、「厳禁」らしい。割に合わないとか、言ってはいけないそうだ。
来ても「こんにちは」さえ言えない、鉛筆を落としまくる、本さえ開けない、そんな生徒を見て、親がしつけをしていないのではないかと思っても、言えない。
自分で魅力を感じたものにお金を出して、ただ商品を購入するだけではなく、自ら創造する営為によって、たとえ利益にならなくても、言葉にはできないような充実感は残るものなのだ。
嫌いなことなのにお金を払わないといけないのかということを言う生徒が、お月謝を持ってくる。
もしかしたら、親が「創造的なるもの」とは何かなんて考えずに、お金を払えば手に入る出来合いの既製品しか、購入したことがないのではないか。
じっくりと物事を考えることなんて、身体が動かなくなるから、生活重視の方には無縁なのだろうか。なんて、かなり失礼な発言か、これは。