中途半端に文章を読めるようになったことで、よくないことも頭に浮かぶようになった。
詳しくは書かないが、先日ある博物館で、秘仏を見る機会に恵まれた。
その秘仏は、普通60年に一度しか公開されないようなのだが、特別展示されていた。
信心深いおじいさんが、その秘仏の前で、念仏を唱えておられた。
私も、その仏像の前に立つと、何か感じるものがあった。
ただ、その感じというのは、秘仏の説明文のなかに、「聖徳太子の御作と伝わっている」と書かれていたことから生まれていた。
そうか、あの聖徳太子がこの仏像を彫ったんだな、聖徳太子も私と同じように、この仏像を眺めたのだな。
そう考えると、とても幸せな気持ちになれたのだ。
ところが、すぐ左にあった別の解説文には、なんと仏像本体は、「鎌倉時代」のものだと書かれていたのだ。本体以外の装飾は、さらに後の世に付けられたものだという。
勝手な推察だが、仏像本体が黒くなっていたことを考えると、おそらく木を彫ってできたものなので、現代の科学では、炭素年代か何かによって、だいたいの年代は特定できるのだろう。
後々に考えると、消失したために、鎌倉時代に作り直されたと考えることもできるのだが、それはともかく、私は、ああ聖徳太子の御作というのは噓の言い伝えなのだと考えてしまったのだ。
ただ信じて作品を見る、それがどれだけ難しいことか。今はただ、それを理解するしかないのだろう。