そろばんをしたり、学校に行って、何の意味があるの?
誰しもが疑問に思っているのだろう。
直接若い世代に接すると、そのような率直な問いに出くわす。
胸が痛むような、何とも言えない苦しみを覚える。
説明できないからだ。なぜ説明できないのか?
私が若い頃に思っていたことで、しかも、依然として答えは出ていないからだ。
大学院に行ったのは、自分の過去の経験がひっかかっていたからでしかない。
世の中が変化して、ネットを利用して、大人以上に稼いでいる若い子もいる。
また、発達障害が認知されてきて、通信制などの高校も増えているようだ。
子どもからの問いに対して、マジメに答えるのが「教育者」なのだろうが、私は「表現者」の自負がある。
おのれの経験を振り返ったとき、おのれに問いかけるべきは、子どもからの問いではない。
「そこまで時間とお金と労力を費やして、何の役に立ったの?」
このような一人前の社会人からの問いかけなのだ。
やっかいなことに、一理ありそうなのだ。