生活と芸術

1冊本をまとめることができて、肩の荷がおりたのか、マジメに読解などしていない。

もともと誰からも期待されていないのだから、肩に荷などなかったのだ。

気負いすぎていたのだろう。

編集者の方にも、引用が多すぎると言われたのだが、一般の方の意見も同様のようだ。

それでも、大学院の研究生活から本当に抜け出すには、あの書籍を出すしかなかったのだ。

あれしか、方法は思い付かなかったのだ。

今は、生活を充実させているので、「文体」が変わってゆくという見通しがある。

家とテナント、そして畑をこなすだけで、一日一日が精一杯だ。

それでも、私は常に自分に問うている。生活は芸術になりうるか。

家業の手伝いは、間違いなく生活の一部であるため、ビジネス的発想は欠かせない。

ならば、その中で、「表現」するというのは、どだい無理な話なのだろうか。

世間でもてはやされている実業家は、「研究をビジネスに活かす」という点で、非常に優れている。

しかし、それは、芸術の理想ではない。理想は、「生活経験を芸術にまで高める」ことなのだ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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