自分の道

私は、精神病院で、すべての「信頼」をはがされたと言ってよい。

実は、ゴッホや太宰治が、精神病院に入った経験があることは、退院後しばらくしてから分かったことであった。

これだけは明らかにしておきたいのだが、彼らのようになりたくて自分から入ったのではない。

彼らの作品に触れて思うのは、おのれがなすべきことは何かについて、彼らが問うていたということだ。ただ生活するために働くのではない、「創造」するとはどういうことなのか。

これから私が進むべき道とは、いかなる道だろうか。ゴッホや太宰を知った上で、彼らを真似るだけではなく、「私にしかできないもの」を付け加えなければいけない。

病院で「信頼」をはがされた私が、処女作で多くの「引用」をして、他者の見解に依拠しすぎているのは、滑稽な話だ。あの文体では、「外」にとらわれるなと言いつつ、実は、「内的真実」を語ることにためらいを感じていると言われても仕方ない。

昨今のエッセイストなる人たちは、個人的な見解になるが、自身の経験を誇張しすぎているように思える。言い換えると、先人の業績を軽視しているように見えるのだ。自分の経験と同じような経験は、すでに先人が経験して悩んでいるのだ。それなのに、そこから学んでいるようには思えないほど、軽薄な文章に思える。

太宰は、芥川龍之介を愛していた。先人の悩みを本当に理解した上で、自分の道を歩んで行けると信じた。

私にもできるはずだ。その根拠は、などと聞かないでくれ。まずは信じることだ。その後に現実はついてくる。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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