駒が動かす

高校2年のとき、外野手の控えになった時期がある。

1年から外野手の先発メンバーに名前を連ねていたのに、ピッチャーを希望したりしている間に、1学年上の先輩に抜かれた。

その時以降かもしれない。個人技だけではない。監督の戦術、試合展開、それから相手の作戦を読むことなどに、関心を向けることができるようになった。

ベース・コーチやバット引きなど、あまり他の人がやりたがらないこともやった。

高校2年の夏までに、試合が見えてくるようになった。代打で結果を残した。

所詮、選手は監督の駒かもしれない。しかし、駒が監督に、この駒は使えるなと思わせることも可能なのだ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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