言葉では説明できないものがある。分からない、分からないと言われ続けても、結局、分かる人にだけ、分かったらええやんと割り切れるようになった。
もちろん、文章表現が下手であるというのは、素直に受け入れる必要があるのだろう。しかし、そもそも経験から得た教訓的なものが、私にはあるのであって、経験そのものに対して批判されるいわれはない。
国家も個人と同じであるのであれば、国家にも感情があるはずなのだ。それは、伝統に根差した感性・アイデンティティだと言える。
私は、どうしても「シニア・パートナー」的なものが苦手なのだ。強い人の庇護の下で、恒久的な平和を保証されるなどというのは、最初から想定していない。甘えは捨てるべきなのだ。
最終的な目標としては、自立を獲得する。経済的のみならず、軍事的・精神的にも。それは、必ず掲げておきたい。
三島由紀夫が太宰治を批判した点とは、治すことができる「弱さ」を赤裸々に語っているところであった。晩年に至るまで、生家から送金を受けていたという話もある太宰。
敗戦した日本。恥の多い人生を送ってきた太宰。敗戦を心から恥じた太宰。
自衛隊基地で割腹自殺した三島。身を滅ぼすにあたって、日本の行く末を考えていた作家たちよ。自分で、今の日本を感じてみるよ。