1+1

人生は、1+1を、ずっとしていかなければならないものなのだろうか。

噂によれば、正社員は、「ジョブ・ルーティン」というものがあるらしい。1つの部署で経験を積めば、別の部署に回る。数年経って、ようやく慣れたと思ったら、さらに別の部署に移る。

そうしたら、会社の「全体像」や、業界の「全体像」を捉えることができるようになるということなのだろう。

しかし、昔尾崎豊の父親の話が、動画で出ていたので、聞いてみたとき、それとは違うことを言っていた。父親が、ピアノを本格的に学びに行くことを薦めたとき、尾崎は習いに行かなかったそうだ。

父親の表現は、たしか、こんな感じだったように思う。まず、「核心」をつかんでしまう…

もちろん、尾崎豊はメッセージ性の強い歌詞に魅力があるのであって、メロディが優れているわけではないといった、彼のプロデユーサーの発言も聞いたことがある。しかし、「卒業」での、彼のピアノ・パフォーマンスには、映像を見て惹かれるものがあった。

問題は、私のような者が練習をしても、ピアノなど、右手で「卒業」の前奏をひくことさえ、おぼつかない。やはり、独自に、なんらかの技術を習得することは、容易ではないのだ。

だから、大学においても、1+1をするしかなかったのだ。とりあえず、大学では、前期後期、たとえば、15回の授業をこなす、あるいは、講義を聴く。それを積み上げてゆくしかなかったのだ。

これでもない、あれでもない。そりゃ、そうだ。大学教員の経験は、私の経験とは違うからだ。

自分で探すしかない。今、ようやく私は、解りかけている。創造的な人には、共通点がある。共通点が分かったんだったら、これからの人生は、1+1ではなくなるのだろうか?それ以外の計算が、目の前にあらわれるのだろうか?

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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