野球の経験

中学から野球部に入った。小学校のクラブで、週に1回くらいは、もしかしたら野球はやっていたかもしれないが、本格的にはしていなかった。

そうしたら、中学に入ったら、思いの外、経験者との力の差を痛感することになった。とりわけ、「セオリー」なるものに苦しめられた。一種の常識なのだろうが、バットの振り方にせよ、ルールにせよ、複雑である上に、状況判断が求められる。

「野球脳」とでも言うのだろうか、単に国語算数理科社会のような勉強とは、まるで勝手が違っていたのだ。一種のカルチャー・ショックで、人生でかなり悩んだことの1つであるように思える。

当時は、まったく文章になど興味がなく、むしろ身体を動かす方が好きだったかもしれない(水泳は苦手だが)。とはいえ、スポーツ選手になれるほどの実力はなく、失礼なことを言うが、勉強ができない奴に、野球ではバカにされる的な出来事が、多々あった。

野球をしていれば、野球ができる人が正しいことを言っているように思えてくるものなのだ。

しかし、私が今後時折振り返ってみたいのは、細かな野球のプレーではない。その経験を通じて、自分がどういう人間であるのかを知るということだ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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