非常識人が常識を語る。私は、学校が嫌いだったので、説教されるのが嫌いだった。それが、教育する側になっているので、説教臭いことには、かなり抵抗がある。
頼みますから、できるだけ家で、普通のしつけはしてきてほしい。そう思ってまた、そういうお前は、きちんとした子どもだったのかと問い直す。その繰り返しだ。
昔、えんぴつをコロコロ転がして、落とす子どもがいた。態度が真面目だったら、あるいは、そんなに頻繁に落としていない子どもだったら、腹立たしさもさほどでもなかったかもしれない。しかし、反省の色もなく、態度も言葉づかいも悪いのだ。
いらない事は話すくせに、あいさつはせず、練習に必要なことは声に出さない。
立派な教育者なら、そんな細かな事にとらわれるなと言うのだろうが、いい加減我慢が限界に達した。ある日、その子が落としたえんぴつを拾って、ありがとうと言ってみて、と促した。
そこで返ってきた返事は、なんで? だった。
授業料のなかに、その子の落としたえんぴつを拾う料金も含まれているのだろうか。
また、昔ある予備校で教えに行っている時に、ある帰国子女の子が、日本の大学に入学するために、私の個別指導を受けたことがある。志望理由書や小論文の指導だったが、書き方を教えても、その子は自分では書きたくないと言った。
彼女が入学する大学の志望理由書や、オープンキャンパスで手に入れた小論文のテーマは、講師の私が書くものなのだろうか。彼女からすれば、高いお金を予備校に払っているのだから、私が書くのが筋だろうとでも言いたげであったが、受験の本旨に外れている上に、マージンはほとんど予備校側が取っている。
こちらが、迷惑料を請求したいくらいだ。