塾を手伝っていると、違和感を覚える。それは、ほとんど太宰治『人間失格』の核心部分に近いように思われる。それは、「人間」の生活が理解できません。飯を食う、そのために働かねばならないのだというのが、分からないのです。
人生の目的とは何なのだろうか。妻子を養い、家や家賃を払い、ご飯を食べる、これが、一人前の大人である。たしかに、立派である。そんなに立派ならば、自分で学問も教えたら、どうですか?これは、暴論なのでしょうか?
子どもは宝ですよ、と子宝に恵まれた、ある保護者さんはおっしゃいます。存在している、それだけですばらしい、と。まるで、作家の五木寛之さんのような意見だな、と思った。
しかし、五木さんの本を読んでみると、あの方は、戦争を経験していて、議論の根底には、「罪の意識」がある。そうした人には、命の重みが分かるから、現在自殺者が多い世の中を憂いて、存在しているだけで、あなたはすばらしいのですよと伝えたくなるのだ。
五木さんの本を読んで、タイトルだけ見て、勘違いされる方がいないことを願うばかりである。このボタンのかけ違いは、想像以上に大きいものだと感じている。