自習・自学について

昔、ノーベル化学賞を受賞した方が、こんなことを述べていたように記憶している。日本の学生は、偏差値的には悪くないが、質・量ともに最悪である、と。要するに、与えられた問題には、ある程度答えられるが、自分で問いを立てて、答えることができないということなのだ。

その方は、「自然科学者」であるが、非常に的確な視点を有しておられるように私が感じたのは、「主観から始めながらも社会のために動く」という旨について語っておられたからだ。もちろん、お偉い方だから、大学教育改革といった大きな視点をお持ちだったが、私のような者からすれば、「地頭」を鍛えるべきだという言葉が、一番重要であるように思えた。

結論から言えば、そのためには、自習・自学が欠かせないという。もっと具体的に言えば、先ほど述べたように、適切な問いを立てねばならないのだが、適切な問いを立てるには、先人の業績を理解しなければならない、というわけだ。そうした作業が、簡単にできるようになるわけがない。

身近な例で恐縮で、反発も大きいであろうが、やはり家で学ぶ癖がついていない者は、「小市民」としかいいようがない。会社員は、外では一生懸命働いているようだが、家ではどうしてもいい家庭人を演じなければならないか、あるいは、切り替えて休みをとるしかないようだ。

また、核家族で、介護だけでなく、教育までも「外部委託」しているお母様方は、子どものためなのか知らないが、衣食住のお得で便利で快適なお話が、とてもとても大好きなようだ。家庭学習と言えば、資格を取得するための勉強くらいなのだろう。

当然、以上の他者批判は、自分に降りかかってくるのだから、たとえ自分の文章が評価されなくとも、「小市民」で終わってなるものかという気概は、決して忘れることなく、静かに読み書きを続けていきたい。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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