任意と強制

精神病院に入れられたのは、「強制入院」であった。精神科医が、「何時何分」と言って、ハンコを押す。その光景は、今でも目の前に浮かび上がってくる。

それまで、幸いなことに、入院らしい入院などしたことがなかった私は、数日で帰ることができると、楽観視していた。しかし、入院当初に入れられたのは、「牢獄」のような場所であった。

後日、太宰治の作品と出会い、太宰が同様の経験をしていたことを知ったが、彼は、相当暴れまくったようだ。泣き叫んだそうだ。しかし私は、涙したものの、自分が入院前にしたことも覚えていたため、また、親の気持ちも推察することができたため、院内で暴力行為を働くことはなかった。

私とは違って、「任意」で入院していた患者も多くいた。彼らは、自分がおかしくなっていると感じて、自ら同意した上で、治そうとする意志を持っているということだ。だとすれば、私には、症状の自覚がなく、自分がおかしいと自覚することさえできない者たちだということになる。

ところで、入院からしばらくして、牢獄のような場所から、患者6名が入る部屋に移されて、お風呂も複数人で入るようになった。風呂場で私は、私よりも若い男性に話しかけたのだが、彼は「任意」で入ったと、素っ気なく返してくれた。

私は、今年書籍の出版にあわせて、多くの反対を振り切り、通院をやめた。それまで、まがりなりにも、通院していたのは、心配する親の心情を察し、また、何度も変わってゆく精神科医たちを観察するためであった。画家のゴッホのように、精神科医の話は聞くが、生きてゆく意味は自分で探すという姿勢であった。

通院をやめるまで、病院の最寄り駅で、一緒に風呂に入った男性を、たびたび見かけた。私は覚えていたが、彼は私のことを覚えていただろうか。そんなことよりも、気になったのは、数名の「通院友だち」と仲良しそうに、院内で行われている社会復帰のためのリハビリに参加していることだった。

「任意」と「強制」とは、こんなに違うものなのかと思った。私は、あの「牢獄」の屈辱を忘れはしないし、病院側の投薬や治療など、くそくらえだと内心思っていた。彼らは、私を狂っていると見ていたが、そういう見方をはねかしてやりたかった。その意志の結晶が、拙著『「自己を知る」ということ』なのだ。

そんな私からすると、従順に病院側の方針に従っている人は、どうにかしているのではないかとさえ思えてくるのだ。国家資格を持つ優秀な精神科医や看護師の親切心はありがたいのだが、彼らには、あんたたちとは違って、絶望から創造にまで高めようとしている者がいるのだということを、少しでも知ってもらいたい。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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