人間社会

人間とは、互いにバカにし合いながら、生きているのだろうか。だいぶ前のことになって、最近書けるくらいにはなった。友だちの友だちみたいな人がいて、結構お給料が高いようだった。

私の懐事情も察してか、食事に行ったときに、少し多めに料金を払ってくれたときもあった。ただ、私は自分からおごってくれと頼んだ覚えはなかった。若かったので、食事に行ったり、ボウリングに行ったりして、何となく気晴らしにはなっていた。

ところが、私が生活(結婚・お金)以上に、書くことを優先していたことが、余程理解できなかったのだろう。あるいは、彼にも昔やりたいことがあったけれども、会社の上司から引き留められていたようだ。もしかすると、そのときに、彼は私のような友だちがいると伝えたのかもしれない。

彼によれば、彼は会社の上司から、私のような奴とは付き合うのをやめた方がよいと忠告されたのだという。なぜかと言えば、お金をせびりに来るぞ、というわけである。

私からすれば、「新居祝い」も持って行っているのに、ひどい言い様だなと思った。他面で、彼は、正直に私に伝えることで、真っ当な人の道ではないのだと助言してくれたのかもしれない。学術論文を書いたとは言っても、お金にならないなら、意味がないのではないかということなのだろう。

私だけではなく、彼もやりたいことを我慢していたとはいえ、私にとって、彼と袂を分かれされた、決定的な出来事であった。人並みのことも出来ねば、人並みのことしかできない奴にもバカにされるのだ。

ちなみに、当時彼は、金融系で、かなり給料は高かったが、書類にハンコを押すポジションにいた。謙遜しているんでしょと聞いてみても、本当に単純作業であったらしい。もちろん、そこにたどりつくまでに、営業に出て、長い下積みをしていたのだが。

お金があって、生計を立てることさえできれば、人並みのことしかできなくても、偉そうにすることができるのか。それは、本当にあなたにしかできないことなのか。「いかに生きるべきか」という内からの問いが、聞こえない人もいるのか。こういう人たちに、私の書いた物など、読むどころか、目にも届かないのではないかと思う。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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