数年前に、「学習指導要領」が改訂されるというので、少し調べてみたことがある。それは、教育関係の仕事をしているという事情というより、むしろ自分自身の過去と関係しているからであった。
正直、腹が立った。私には、私の子ども時代の教育方針が間違えていましたと、文科省が認めているような気がしたからである。「アクティブ・ラーニング」を目指すというのは、逆に言えば、昔は、消極的な学びしかできていなかったということだ。
よく考えてみれば、先生の話を静かに聞いて、ノートをきれいにとっている子が、模範的とされていた。また、当時から、分からなければ先生に聞くということは、評価されていたように思うが、どこまで考えて質問していたのかまでは、深刻に問われていなかったように思う。
たしかに、学校を出たら、お金を稼ぎ、休日はレジャーで、事足りるので、己の経験に関係した本を読み、「教養」を身につけるといった苦労が軽視されてきていると、文科省が危機感を抱いたのであろう。この危機意識自体は、遅すぎるにせよ、歓迎すべきなのだろう。
しかし、当時の先生方から、その態度の悪さを常日頃指摘されていた身からすれば、少しくらい言い返してやろうかというくらいの気持ちが湧いてくるのだ。ああ、よかったな、授業真面目に聴かなくて、ああ、よかったな、友だち少なくて、と。