最近、文芸評論家の作家論を読んでいる。浜崎洋介と加藤典洋が、三島由紀夫と太宰治について書いていた。なぜ私がこの両人に賛同しているのかと言えば、学者とは異なって、「評論」の手法に依拠しているからだ。
もちろん、作家の作品を読みこなしながらも、いわゆる「科学的」・「客観的」ではない点が、逆に、安心感を持たせてくれた。具体的に言えば、評論の対象である作者とのつながりが分かりやすいのである。たとえば、浜崎は、自分の生い立ちから、なぜ三島に共感したのかについて語ってくれている。
さて、加藤の太宰論について言えば、講談社の文芸文庫版において、次のような事実に触れていた。それは、所収されている講演の直前に、加藤は、息子を亡くしたという事実である。彼は、すでに太宰の死に関する「新説」を提起していたのだが、この講演の前に、死ぬ思いで、もう一度太宰のことを振り返ったそうだ。
私見になるが、加藤の「新説」とは、太宰が戦後に、元の内縁の妻である初代が、中国大陸で亡くなったことを知った点を重視している。太宰は、前期こそ情死未遂事件を起こしていたが、中期には再婚して、「家庭の幸福」を経験していた。加藤によれば、初代の死は太宰にとって、「家庭の幸福」を捨てさせることになるほど、「底板にふれる」経験であった。
私が言いたいことは、次のことである。太宰が亡くなった初代を思いながら死を選んだように、おそらく、加藤も親よりも先に旅立った息子のことを思いながら死んでいったのだろう。
加藤は、自分はのうのうと戦後を生きているとか、三島や太宰とは無縁の境涯だ、と述べている。たしかに、「近代文学」の申し子とも言える、この2人のように、一種の「革命」を起こすことは、現代では不可能なのかもしれない。しかし、作者の生き方に身を寄せながら文章を書いた、この評論家の死の間際のメッセージについて、私たちは心に残しておくべきだろう。