中身がない

外見は重要だと思う。教えていると、博学な先生をお見かけすることがあるが、やはり風貌が一種独特な感じだ。髪型や服装、歩き方などから、話してもいないのに、こちらも固定観念を持ってしまうことがある。

ただ、私は、個人的な経験から、どちらかと言われれば、外見よりも中身をとりたい。大学1年生だった頃、大学に行かずにアルバイトで稼いだお金で、ブランドの財布を買った。かっこよいと思ったのだが、しばらくすると、予期せぬことが起こった。

大学卒業のために、授業に出るようになってからは、あまりお金が貯まらなかったのだ。しかも、変にプライドが高くて、人の下で働きたくなかった。当然、財布の中に、ほとんどお金がない時が増えた。

財布だけが高くて、お金が入っていないというのは、主従の倒錯ではないか。お金を入れるための財布に、お金が入っていないとは。

これは、決してお金が大事だよという話では終わらない。私の親父は、中古の外車に乗っているが、年代物らしく、とても大事にしている。修理費も馬鹿にならないようだ。それを維持するのが、彼が働いている動機とさえ言えるかもしれない。それはそれで結構だ。

「子ども部屋おじさん」の分際なので、親父の文句は言いたくない。しかし、あえて言うなら、もう少し本を読んだ方がよいと思う。なぜなら、前述した「財布」問題が、ここでも起こっているように思えるからだ。

逆に言えば、こうも言えるかもしれない。高い物で身を固めるということは、中身も整えることが求められているということだ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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