自分の内に答えはある

タイトルの通りの話をしたいと思う。小学生の頃の思い出は、年齢を重ねて、数えるほどしか覚えていないが、確実に私の記憶に残った出来事があった。それは、当時も今も、私の心に深く刻み込まれている。

たしか、小学2年だったと思う。M先生という女性が、授業中に質問をして、後ろの席の生徒から順に前に向かって、1つの質問を順に尋ねていった。ほとんど生徒全員が答えたのではないかと思う。

奇妙な光景だが、最初に先生にあてられた生徒が述べた答えを、他の生徒も述べていた。実は、私はその答えとは違う答えを持っていたのだが、他の人と違う答えを言うのが恥ずかしくて、言えなかった。そのため、丁度真ん中あたりであてられた私も、オウムのように、繰り返したのだ。

ところが、まさに私が考えていた答えを、堂々と述べた生徒がいたのだ。F・T君だった。あまり人のことは言えたものではないが、あまり外見ははっきりしないというか、見栄えがしない男の子であった。その子が言ったのだ、はっきりと。

その正しい答えが出た後で、F・T君に続いて、他の子が正解を述べたかどうかは、まったく覚えていない。おそらく、私は「しまった」と思い、頭が混乱していたのだろう。当然、M先生は、すべての生徒の発言を聞き終えた後で、F・T君を誉め称えた。

M先生と言えば、正解者には宿題を少なくするという印象が強いため、きっとF・T君は、その日の宿題を軽くしてもらえただろう。私は、自分が本当はわかっていたのだという気持ちをぶつけたくて、ある女の子に、そのように言ってみた。

その子から返ってきたのは、「わかってたんやったら、言いよ」というものであった。その猜疑心あふれた言い方は、私を、他の人に左右されるような人物だと決め付けているかのようだった。なかなかかわいい女の子だったから、ショックだったのかもしれない。

今、はっきり言おう。他の人に答えを合わせる必要はない。

優秀な社会人になれますか?

いいえ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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