母の教室で教えている「そろばん」についてですが、私は子どもの頃にやってはいましたが、他の人に対して、その意義を説明するのは、容易ではありません。その意義について、大人と子どもの双方の立場になって、考えてみたいと思います。
現代においては、何事も根拠や証拠を並べて、相手が納得できるように説明しなさいよという雰囲気です。その時に、科学者のデータや統計を示すことが、一般の方々には納得しやすいのかもしれません。
あまり調べていませんが、もしかすると、次のようなキーワードが挙げられているかもしれません。たとえば、寺子屋の「読み・書き・そろばん」の伝統とか、集中力のような「非認知能力」の向上、あるいは数字への親しみ(正確さ)など、です。
書いている私自身が、この歳になってこの有り様なのですから、たいていの子どもたちは、そろばんをする意味について、このような「理屈」だけで納得しているわけではないと、私個人は考えています。私のように、後から“意味づけ”するなどというのは、大人の論理にすぎません。
直接生徒に接してみて思うのですが、積極的に取り組む子どもは、問題を解くことができた時に喜びを感じているに違いありません。それは、大人のような「理屈」ではありません。そろばんの音や、取り組んでいる時の感覚は、肌で感じるものです。
もちろん、そういった喜びや感覚以上に、飽きてしまったり、集中力を切らしてしまう子どももいます。そういう生徒は、自宅や学校でも集中できていない場合が多いので、私たちは、親御さんと情報を共有するようにしています。
ただ、経験上、大人たちが、やる気を失いつつある子どもに対して、そろばんの意義を「理屈」で説得しにかかっても、効果は薄いように思えます。そのため、まずは、自分の過去を振り返って、子どもの気持ちを思いやるように努めています。これは、きれい事ではなく、嘘偽りない気持ちです。
子どもの頃は、暗中模索でした。先を見通すことのできない闇の中、その日の練習を終えることだけしか、見えていませんでした。終わった時の、あの解放されたような感覚。ここに、そろばんの「意味」など落ち着いて確認することができる主体など、存在するはずがありません。