ひとりで祈りたい

最近、元総理大臣の殺害事件以後、「政治と宗教」が、ニュースになっています。私は、すでに大学における研究からドロップアウトした者ですから、学者らしい話などできません。このテーマについて今思い浮かぶのは、本当にどうでもよいような出来事であって、取るに足らないものです。

「政治と宗教」に関しては、国際政治の授業で、ドイツの30年戦争の講和条約以後、「政教分離」が基本になってきたと話した記憶があります。ただ、よくよく考えてみると、なぜ日本の某政党の支持母体が、某宗教団体であることが許されているのかについて、私は知らないですし、調べてみようとも思いません。

その政党は、団結力が強いため、関係者が選挙協力のお願いに来られたこともあります。ただ、過去に面白い記事を見たことがあって、蓋を開けてみると、ある小選挙区の同政党候補者の得票数が、団結力が強いはずなのにもかかわらず、当該地域の信者の数に達していなかったようです。その特定の候補者が人気がなかっただけなのかもしれませんが、意外に、宗教関係者は政治への介入を自分で抑制しようとしているのかもしれません。

さて、私の話になりますが、正直に告白すると、私は精神病院で入院中に知り合った女性に誘われて、とある宗教団体の集まりに参加したことがあります。私の家は、仏教の家で、ある程度の知識はあったのですが、誘われた集まりが何という宗派であったのか、思い出せません。仏教的な念仏を唱えていましたが、開祖は比較的新しい人であったので、おそらく「新興宗教」というやつなのでしょう。かなりの人数がいて、驚きました。

その時は、退院後間もない時期で、投薬の副反応もあって、意識がはっきりしていませんでした。結局、参加したのはその日だけで、宗教的行為として記憶に残っているのは、大きな建物の何階にもわたって集まった大勢の人たちが、一緒にお経を唱えていたことだけです。

困ったことは、帰る際に、その団体側から、私の住所を書かされそうになったことでした。あちら側の狙いが、もちろん、私の入信・入会にあったことは、間違いありません。しかし、すでに手土産的な物を頂戴して手にぶら下げていた私は、無下に断ることもできず、しぶしぶ受付に案内されました。

実は、後から考えてみると、その日に参加させてもらった唯一の意味について、帰る時にはすでに、私は気付いていたように思えます。大勢で集まって祈ることが嫌いなのだ、ということに。

大勢でいる時は、どうしても意識が「外」に向いてしまい、どんな人がお経を唱えているのかなど、どうしても気になってしまうタチなのです。逆に、ひとりで坐って目を閉じると、自然と意識が内に向いて、過去や未来とつながるような気持ちになれるのです。

親鸞に詳しい作家の五木寛之さんがおっしゃっていたような気がしますが、法事などと同様に、ともに念仏を唱えることには、多数の人たちと「悲しみ」を共有するという意味があるのかもしれません。しかし、宗教的行為をなす基本単位は「個人」であって、別に「徒党」を組む必要はないはずです。

また、丁度その頃は、私が研究活動をストップしていた時期にあたります。というのも、精神病院における「絶望」が、「主観的」であることは免れず、多数者や社会を研究対象とする「政治学」によって、「客観的」に癒やされることなど、到底期待できそうになかったからです。

私は、住所欄に、実名を書き、次のように書いて立ち去りました。「○○県平壌市平壌町一丁目」。日本の中に、北朝鮮の首都が存在しているはずもなく、後日、例の女性から、住所が正しく記入できていないと連絡が来ましたが、詳細はともかく、その女性との連絡がその後なくなったのは、言うまでもありません。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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