えらいてんちょう『しょぼい起業で生きていく』

 今回は、えらいてんちょう『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス、2018年)を取り上げます。私の母が、そろばん教室をしていますので、私個人の感じたことを書いておきます。

 まず、同書によれば、バブル崩壊後に、サラリーマンとして働くことだけが選択肢ではなくなりました。通勤のために満員電車に乗って、やりたくない仕事をして、複雑な人間関係に悩むということから、思い切って逃げてみるのはどうだろうか。大賛成です。

 さて、自由に生きていく方法として、同書では起業が提案されているのですが、実際に起業するにはどうするべきなのでしょうか。同書によれば、まず始めてみることがいいとされて、自宅で開業するなど、大きいことをしなくてもよいそうです。

 つまり、いわゆる「事業計画」を立ててから、店舗を借りて、最後に営業にこぎつけるという、普通の過程ではありません。先に、店舗を借りて、そこに住みながら、取得する必要のある許可があるときに動くという形で、構わないというのです。なぜなら、とにかく営業を始めて、店を開けておかないと、お客さんも集まって来ないからです。

 この方針に従うならば、自分にできることから始めてみるべきだということになります。今できることとは、やりたいことや夢ではない場合もあります。あるいは、資格を取得してからなどと、営業を始めることを後まわしにするべきではないのです。

 私が気になった用語としては、「生活の資本化」があります。具体的に言えば、家と東京の学校の「通学」は、次のように変えることができます。家で育てた野菜を、学校の近くで売るために、「輸送」するのです。また、野菜を作って、売ってから、残ったものを食べるという発想を変えるのです。すなわち、作った野菜を、先に食べて、残った野菜を売るのです。

 たしかに、自分で食べるぶんだけ作ることができるならば、しょぼくても、家賃を払えなくなる以外は、破産することはなくなります。サラリーマン的発想で、「年収いくら」というように、現金に換算することを優先するのではなく、余ったぶんだけ資本化するのです。

 私は、年収が低いとか、安定していないとか、卑屈になったときもありましたが、同書を読んで、従来の固定観念にとらわれずに、今の環境を活用して生きようと思いました。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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