今回は、浜崎洋介『小林秀雄の「人生」論』(NHK出版、2021年)を取り上げます。前回の福田恆存による芥川論も踏まえながら、「近代」の超克について考えます。この課題に対して、小林秀雄の「批評」の考察を通じて取り組んだ点に、浜崎の意義があります。
日本人は、明治以降、西洋列強に追いつくべく、性急に近代化を推し進めていきました。その過程で、自分たちの「伝統」を忘れてしまったために、「不安」を覚えるようになりました。その「不安」とは、芥川龍之介がぼんやりと感じていたように、近代人が避けて通ることはできないものでした。
浜崎によれば、小林がおのれの「宿命」として受け取ったものとは、日本の「伝統」で西洋近代に「接ぎ木」するというものでした。日本人の生き方は、本来近代的な生き方とは異なるものです。「接ぎ木」するというのは、近代を引き受けた上で、自分たちの生き方を見出すという営みです。
小林は、この目的を達成するために、「批評」という手段を選択しました。それは、対象との間に「分析」的な距離を置きますが、何よりも「直観」的なものでした。具体的に言えば、様々な意匠(イデオロギー)を踏まえつつ、その主調低音(底)を、「宿命」としてきくのです。それは、「直観」とはいえ、「他者」からの呼びかけをきく「自覚」を、私たちに要求するのです。
まず、小林は、近代日本の経験と似ているロシアに目を向けて、ドストエフスキーの文学を読み解いてゆきます。ドストエフスキーは、伝統に浸った民衆に信頼をおきましたが、民衆は「ロシア正教」を支持していたため、その「ロシア正教」が支持した「専制」を、彼もまた支持することになりました。いずれにしても、小林は、ドストエフスキー文学を通じて、ロシア土着の「神」の意義を抽出したのです。
次に、そのような「神」を持たない日本人は、どのような「伝統」を「直観」するべきなのかというのが、小林の問題意識となりました。小林は、本居宣長の『古事記伝』などに着目して、中国大陸から漢字(漢心)が伝わる前の「日本的なるもの」とは何かについて考えました。結論的に言えば、それは、「もののあはれ」であって、「自然という神」に出会ったのです。
浜崎が指摘するように、小林は、全体としての「自然」の中で、部分として「自己」を位置づけたのです。これが、「近代的自我」を乗り越える方法として、小林がたどり着いた結論なのです。拙著『「自己を知る」ということ』においても、この小林の結論については言及しているので、参照いただければ幸いです。