今回は、福田恆存『芥川龍之介と太宰治』(講談社、2018年)を取り上げます。今回の記事の対象は、芥川龍之介に関する福田の論考です。ただ、福田の本格的な芥川論は、現在の私の理解では到底太刀打ちできないため、少し乱暴ではありますが、個人的な関心と関連する論点についてのみ書き記します。
前回本田健の『人生の目的』を取り上げましたが、とりわけ次の点が重要です。それは、自分の心が変われば未来をつくっていくことができるという、明るいメッセージです。その根拠は、今振り返ってみると、次のことに気づくことができるからというものでした。すなわち、過去に岐路に立っていたときに、自ら判断を下したことによって、現在の自分があるのだ、と。
なぜこの点を再び確認したのかと言えば、それが、福田の芥川論と、きわめて対照的であると感じられたからです。ここで福田の「仮説」を言ってしまうとネタバレになるので控えますが、要するに、芥川は生まれた時点における「罪」を自覚して、しかも、それに対して「思いやり」を持っていたというのです。その「原罪」は、変えることのできない「宿命」であり、「必然」でした。
この「原罪」は、「羞恥」となって、芥川を苦しめるのですが、表現者たる者は、その「恥」をしまっておくのではなく、あえて文章にして公にしてしまうのです。芥川の晩年の作品、たとえば「或阿呆の一生」などは、その典型だと言えます。それは、なぜなのでしょうか。
この点について、福田は、次の点を強調しています。芥川にしてみれば、他の「私小説」作家のように、直接的な表現で、自分の「恥」を(無自覚に)告白することなどできませんでした。そのため、彼は、「比喩」や「古典」を駆使しながら、おのれのエゴ(情欲)を隠して、「自我の安定」を図ったのです。これが、芥川の「精神的風景」でした。
福田によれば、そのような芥川が「私小説」を書くことになったという展開にこそ、日本文学が「近代精神」の問題に取り組む鍵を見出すことができるのです。それは、「悪から善を生み出す」という論理だったのですが、それは、森鴎外や夏目漱石によっても、明確には意識されていませんでした。
それでは、どのようにして、この論理は成し遂げうるのでしょうか。福田によれば、芥川は、「原罪」の自覚から「神」を求めました。その「神」とは、西洋的なものであって、「自我のそと」にあるものです。その試みこそが、最終的に芥川をして、「死」を「宿命」として受け入れさせることになりました。ただ、おのれの「恥」を受け入れて、自己を慰めるという結果だけを捉えて、福田の芥川論を、本田健の人生論と同列に扱うことは、到底できないでしょう。
福田が指摘するように、芥川は、おのれの作品を、歴史や伝統と連なるものにしようとしていたため、「死」に至るまでの過程には、想像を絶するほどの葛藤がありました。そこには、「原罪」と「自死」を「必然」「宿命」として受け入れると同時に、いかにしても「永遠なるもの」を求める「自由意思」を示すのだという「覚悟」がありました。
したがって、人生という作品を「自死」によって完結させようとした者の「覚悟」は、当然ながら、「ただ生きているだけでよい」と優しく慰められる人々のそれとは、その葛藤の烈しさにおいて、決定的に異なっていると言わざるをえないのです。