本田健『人生の目的』

 今回は、本田健『人生の目的―自分の探し方、見つけ方』(大和書房、2018年)を取り上げます。本田は、生き方に関する著書を多数執筆して、セミナー活動も活発に行っています。同書を通じて、タイトルの通り、人生の目的や、幸せとは何か、また、自己と他者の関係についても学ぶことができます。今回の記事の目的は、同書の詳細な説明ではなく、私の問題関心に沿って、生き方に関する論点を整理することです。

 まず、本田は、人生の目的を生きるとは、「このことをするために生まれてきた」と思えることをするということです。そのことをしていると、自分がワクワクして、他のことをするのも忘れて熱中できるのです。そのとき、些細なことで思い煩うことがなくなるというプラスの効果があらわれます。「人生の目的」とは、自分が「幸せ」だと感じるあたりにあるものなのです。

 ワクワクできることは何かを見つけるためには、自分のモチベーションがどこからきているのかについて自問する必要があります。具体的に言えば、子どもの頃の経験を振り返ってみるのです。たとえば、何に感動したのか、大切にしてきたものは何か、などです。また、悲しみの中にも幸せの種はあります。なぜなら、その悲しみの経験を見つめることによって、人生の目的が明確になることがあるからです。

 ところで、ワクワクすることとは、基本的には自分の心が充足するということです。ただ、それだけではなく、他者や社会のことも考慮する必要があります。なぜなら、他者に奉仕するという「無私」の精神が、個人に幸せを感じさせることもあるからです。また、自分の幸せや夢だけを追い続けていると、結果的に、自分の妻や子どもに迷惑をかけてしまうことになりかねません。

 したがって、個人と社会(他者)の関係については、うまくバランスをとる必要があるのです。つまり、人生の目的を探すときには、たとえ優先順位をつける必要があるとしても、自分だけではなく、他者にとっても意味があるようなものを目指すべきなのです。言い換えると、家族がいるから自分のやりたいことができないと考えるのは、浅はかな考えなのですね。

 以上の点に照らして興味深いのは、「幸せ」が必ずしも「人生の目的」になるとは限らないという指摘です。つまり、社会的に何かを成し遂げることがなかったとしても、子どもがいるとか、おいしいものを食べたという身近なことに幸せを感じるということでもよいのです。

 だとすれば、本田が、次のような考えに至っていることは、至極当然のように思えます。すなわち、人生に目的なんかなくてもよいという考えです。もともと意味のない人生に、どのように目的を見つけることができるかと考える程度でよいのです。逆に、人生に意味を持たせねばならないというような「使命感」に縛られてしまうと、自分に価値はないのではないかと思い込んで、身動きできなくなってしまいます。

 このように、たしかに本田は、「生きているだけでも価値はあるのだ」と言っています。ただ注目すべきは、それにとどまらず、読者に対して次のように語りかけている点です。それは、自分の心が変われば、幸福度も変わってくるということです。人生の目的を見つけようと意識した方向に、人は向かっていくそうです。

 たしかに、人間は誰しもが、生まれた環境など、変えることのできない「宿命」を背負って生まれてきます。しかし、私たちは、それを受け入れた上で、自分たちの「運命」を変えることができます。私が一番印象的だったのは、意識のありよう次第で、自分の人生を形作っていくことができるという、きわめて前向きな姿勢でした。この姿勢が、「宿命」といった限界や、おのれの経験を見つめるという点に裏打ちされていることが、本田の経験の豊かさを物語っているように思えます。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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