今回は、五木寛之・立松和平『親鸞と道元』(祥伝社、2018年)を取り上げます。五木と立松の両人が、親鸞と道元について語り合い、共通点と相違点を明確にしています。2人の対話を参考にして、仏教について考えます。
まず、親鸞と道元が生きた時代は、平安時代末期から鎌倉時代初期で、重なっています。2人はそれぞれ、浄土真宗と曹洞宗の開祖として知られており、彼らの時代には「鎌倉新仏教」が広がりました。五木は、親鸞の教えを知ることのできる主な書物として『歎異抄』を、立松は、道元の教えを知る書物として『正法眼蔵』を挙げています。
次に、親鸞と道元の相違点として、次の点が挙げられています。それは、親鸞が「他力本願」を唱えたのに対して、禅宗の道元は「自力」を重んじたという点です。
一方で、親鸞は、念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けると、民衆に伝えました。他方で、曹洞宗の永平寺では、道元が中国で学んだ教えをかなり忠実に守っており、「只管打坐」という言葉があるように、座禅で悟りを得るべきだと考えられています。同書では、前者(親鸞)が「在家仏教」で、僧は家庭を持ち、結婚もするのに対して、後者の曹洞禅は「出家仏教」としてまとめられています。
ただ、以上の相違点よりも重要だと思われるのが、親鸞と道元の共通点です。道元が体験した「身心脱落」は、五木が指摘するように、「自力」や「他力」をこえた「自他一如」なのです。すなわち、「身を投げる」ためには、「自力」が必要なのだけれども、身を投げた後のことについては、仏に任せるという「他力」にゆだねるしかないのです。親鸞と道元が「愚」にあこがれていたのは、それが仏と出会う方法だと考えていたからでしょう。
ところで、親鸞の教えの意義は、「個人としての信仰」を提唱した点にあります。親鸞や、彼の師である法然以前は、比叡山や高野山が「国家鎮護」のために、加持祈祷を行うというのが主流でした。しかし、親鸞が比叡山からおりた理由は、念仏を唱えて仏にすがることによって、個人が救済されるということを民衆に伝えるためでした。
このような「個人としての信仰」は、中世において「近代的な個人」が芽生える契機となっていたのです。さらに言えば、五木が指摘するように、親鸞は、個人が現世においていかに生きてゆくべきかについて語っていたのです。以下で説明するように、そのヒントが、親鸞と道元の言葉にあります。
親鸞の「罪業」や「宿業」といった考えは、たとえば、この世での行いには、前世における行いが影響しているというように、「輪廻」の考えにつながっています。つまり、「業」とは、因果関係を認めているのですが、注目すべきは、この因果は変えうるという点にあります。具体的に言えば、私たちは、①日ごろよき行いにつとめることにくわえて、②善悪を簡単に決めるべきではない、ということになります。この考えは、道元の「善悪は時なり」という考えと、驚くほど一致しています。
以上のような論点について五木と立松の両人が語り合うときに意識しているのは、自殺者が増加している現代において、今必要とされている宗教とは何かということです。たしかに、仏教は「現世利益」を目的とはしておらず、また、そのようなことに役立つわけではありません。しかし、言葉にならないようなつらい経験をして、仏にすがるしかなくなったとき、私たちは、生きている間に生まれ変わることができ、「死」を思い煩うことがなくなるのです。ここに、現代における仏教の意義があると言えます。