倫理と芸術の相克
今回は、奥野健男『太宰治論〈増補決定版〉』(春秋社、1966年)を考察します。太宰は、「自分が他と異っている」という「自己の欠如感覚」を有していました(13頁)。この「欠如感覚」を根幹として「下降」と「上昇」という論理が成立しているのだと、奥野は指摘しています。具体的に言えば、「欠如感覚」を有した自己と同類の弱き者のために、自己を正当化するという論理です。これが、倫理と芸術の相克としてあらわれるのです。
簡潔に言えば、倫理とは、「他の為」で、芸術とは、「自らの(名誉の)為」です。管見の限り、この2つの要素をどうにかして両立させようとしたというのが、奥野の太宰論の一貫したテーマになっています(37頁)。以下で説明するように、とりわけ創作活動の初期においては、芸術(文学)は「他の為」にあるものだと、太宰は考えました。
たしかに、太宰は、作家として、芸術(文学)の永遠性を求めるという意味において、上昇指向を否定しませんでした(22頁)。文学に社会への効用がないとしても、「無用の用」はあると、太宰は考えたのです(31-32頁)。実際、裕福な地主に生まれた太宰は、自分が「撰ばれてある」者であると考えて、「他の為の自己主張」(19頁)、「自己主張による他我の救済」(22頁)を目指しました。
しかし、倫理と芸術は、対置させがたいものでした。とくに作家活動の初期において太宰は、他の為に尽くすには、自己を破壊せしめねばならない(下降指向)と思い詰めていました。奥野はこれを、「反立法」の論理と呼んでいます(29頁)。この太宰の下降指向を決定づけたのが、コミニズム運動への参加なのですが、それを彼は弱き者のためだと考えて、裕福な生家に反抗しさえしたのです(19頁)。
奥野の眼目は、太宰がコミニズムの運動から脱落したことが、「罪の意識」を抱くきっかけになったという考えにあります(41-42、114-115、134頁)。「思想を、組織を、同志を、そして自己の倫理感を、裏切ったということが、彼の心にいやすことのできない傷を与えました」(50頁)。奥野によれば、この下降指向の「罪の意識」(倫理)が、最終的には太宰を死に追いやることになりました。ちなみに、この考えは、奥野自身がマルキシズムに傾倒したとことがあるという経験を踏まえて提示されています(281-282頁)。
太宰は、後期において、学者のエゴや既成道徳に立ち向かうために、中期の「小市民」的生活を否定して、再び下降を始めます(29頁)。倫理と芸術が、このような下降と上昇という関係で結ばれていたとすれば、太宰の実生活は悪徳なものとならざるをえません。したがって、太宰においては、「文学と実生活との混淆」が見受けられると言えるのです(21、30頁)。