自ら「真実」を探し求める「主体性」を重視する立場に基づいて、次の2つの立場を批判しておきたいと思います。以下で論ずるように、その2つの立場は、「本当の自分」と向き合う行為の真の意義を理解することができないという、共通の問題点を抱えています。
1つ目の立場は、我々の行動や思考は、社会によって構造的に規定されているという考え方です。権力者の決定に左右されることだけでなく、「遺伝」が様々な疾患の原因であることなど、たしかに己の無力さを認めざるをえない点はあります。したがって、社会構造や生物学的遺伝が「絶望」の背景にあることは、間違いありません。
けれども、社会構造と遺伝に責任を押し付ける思考では、なぜ「絶望」と向き合うことから出発するべきなのかという本質的問いに答えることはできません。というのも、その思考では、「本当の苦しみを味わっていない奴は半人前だ」というように、強大な敵との“壮絶な闘い”をひけらかすだけで終わってしまいかねないからです。
2つ目の立場は、ポジティブな経験によっても、「真実」に辿り着くことができるという立場です。たしかに、ハッピーな経験をすることによって価値観や世界観を変えうるのであれば、わざわざ逆境に立ち向かう「必要はまったくない」と言えるのかもしれません(カウフマン&グレゴワール、前掲書、211頁)。
しかし、誤解を恐れずに言えば、「絶望」という「極限状況」に置かれた時に、「自分で自分の運命を決定する権利」を行使することができるかどうかが、本質的な問題なのです。この権利を行使するためには、苦しみと向き合わねばなりません。なぜなら、苦しみと向き合ってこそ、真の「個性」を己に確信させることができ、自分は何者なのかという「真実」を掴み取ることができるからです(なお、「実存主義」については、カウフマン&グレゴワール、前掲書、83-85頁を参照)。
それでは、どのように「絶望」「孤独」「死」と向き合えば、「真実」を発見することができるのでしょうか。このサイトの一貫した課題とは、これらの逆境を「真実」に変えるにあたって、“自分との向き合い方”が数多く存在することを明らかにすることです。つまり、「絶望」と「真実」の関係を、「因果関係」として積極的に特定しようとする試みなのです。
いずれにしても、人間が自分の存在を肯定して主体的に歩んでいくためには、社会構造を理解しながら、次のことを信ずる必要があるのではないでしょうか。それは、苦しみや孤独と向き合うことが「社会を変革する力」を生み出しうる、ということです。このサイトを通じて、苦悩を抱えた読者の方とともに、暗闇の中から光を見い出すきっかけを掴みたいと考えています。