「仮説」について

 「絶望がどのような意味を持つのか」という「問い」に対して、1つの「仮説」を提示したいと思います。その「仮説」とは、「絶望が真実の発見に資する」というものです。筆者の考えでは「真実」とは、「自分とは何者か」に対する答えで、「存在理由」に直結します。

 冷静に考えると、強制入院とその後の“絶望”は、筆者自身が生きてやるべきことは何かについて再考する機会になりました。具体的に言えば、『先導者たち』における記事のように、これまでの研究で培った知識と情緒を組み合わせながら、自分の考えを発信することです。もちろん、家族の存在も大きいのですが、筆者個人の中核には、生きる理由や目的を自分なりに探求するという精神が残ることになりました。

 実際、スティーブ・ジョブズも、スタンフォード大学における有名な演説で、同様のことについて述べています。すなわち、「死」を身近に感じることによって、本当に大事なものに気づくことができるのです。同時に、それ以外のことは些細なものだと思えるようになります(拙稿「ジョブズと起業家精神の真髄」『先導者たち』を参照ください)。

 さて、前述した「仮説」には、逆説的な「因果関係」を確認することができます。マイナス・イメージの「絶望」が原因で、プラス・イメージの「真実」が結果です。この両者の間に「因果関係」が成立することを証明するためには、今後、次の点を明確にしていく必要があります。それは、小説の登場人物(主人公)にとって、どのような「絶望」が、なぜ「真実」の発見につながったのかという点です。

 中室牧子と津川友介によれば、2つのことがらに関係があるという意味の「相関関係」には、「因果関係」だけでなく、以下の2つの場合のような「疑似相関」もあります(以下、中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学――データから真実を見抜く思考法』ダイヤモンド社、2017年、32-35頁)。要は、この点に留意しながら、「仮説」の「因果関係」の妥当性を証明する必要があるのです。

 まず、「逆の因果関係」です。すなわち、「仮説」とは反対に、「真実」が原因で、「絶望」が結果という場合です。筆者の例を挙げると、次のような見方も可能です。すなわち、博士論文を提出して、ゆくゆくは大学教授になるという理想(真実)を持っていた、ところが、自らが掲げた理想が行き詰まる過程で、精神疾患という“絶望”に陥った、という見方です。

 次に、「第3の変数」です。「仮説」では「絶望」を原因として設定しているけれども、その「絶望」の原因は何かについても掘り下げて考える必要があります。というのも、その「第3の変数」こそが、「真実」へとつながる根本的な要因となりえるからです。この場合、「絶望が真実の発見に資する」というのは、「見せかけの相関関係」だということになります。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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