小林秀雄のゴッホ論の核心
今回は、シリーズの最終回です。精神疾患に対するゴッホの姿勢は、絵画の技法上の発展につながりました。その試みは、「近代」を超克して、人間と自然との一体化を模索するものでした。
ゴッホによれば、彼自身の「狂気」の原因は「外」からの影響にあったのですが、それは、「宗教に関する誇張された考え」でした。「外」からの影響とは、お金や名声などです。ゴッホは、そうした「外」に影響されて、弟の結婚を心から喜べていないことを、率直に認めていました。『芸術への愛が真の愛を失わせているのだ』という言葉が、「宗教的錯乱」(精神疾患)をあらわしています。
普通の「狂人」からゴッホを異ならしめたものとは、彼の「意識」です。「意識」は、「狂気」と「宗教的無私」の緊張関係の中から生じてきます。具体的に言えば、ゴッホの「宗教的無私」は、おのれの「狂気」を、「あるがままに受け入れる」ことを目指しました。そのため、ゴッホは、一方では狂っていたものの、他方ではそのことに自分で気づき、原因や対策について考え抜くことができたのです。
この「意識」は、ゴッホが「自力」で「宗教的錯乱」を正そうとしたことを証明しています。以上の論理が、小林秀雄のゴッホ論の核心でした。この論理に基づいて小林は、次のように論ずるのです。すなわち、ゴッホが「絶望」を「真実」に、すなわち、精神疾患という「狂気」を、絵を描くという「創造」的行為につなぐことに成功した、と。
小林の“核心的論理”を踏まえて「統合失調症」を罹患した筆者(中西)が肝に銘ずべきことは、幻聴や幻覚などの「宗教的錯乱」と、「宗教的無私」とを峻別しなければならないということです。以下で検討するように、ゴッホの理想は、「宗教的錯乱」の克服や絵画技法の発展を通じて、「近代」を超克することなのです。
「近代」の超克
ところで、小林によれば、そもそもゴッホを一番苦しめたものとは、「絶望」(狂気)などではなく、「深い真面目な愛」なのでした。一方で、その「愛」(問い)は、ゴッホに深い「悲しみ」をもたらしましたが、他方では、この「悲しみ」や「憂鬱」こそが、ゴッホの生存基盤でした。実際、「悲しみ」や意気消沈は「狂気」を上回るとまで、ゴッホは述べています(以上、小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、34-35、50-51、163頁)。
それでは、こうした「悲しみ」は、ゴッホをどのように変えたのでしょうか。前述したように、ゴッホは、おのれの「狂気」や「外」からの影響を「あるがままに受け入れる」ことによって、自然との一体化という宗教的体験を成し遂げました。
その結果、ゴッホの主な作画動機は、「悲しみ」の中で、“自分を慰める”ことになりました。この目的は、以前に、“他者を慰める”ことを主目的としていた時とは、大きく異なっています。ゴッホは遂に、精神疾患に意味を見出すことができたのです。
『《刈入れ》という全部黄色の習作だ。恐ろしく厚く描かれているが、主題は美しく単純なのである。暑熱の唯中で、仕事をやり上げようと悪魔の様に戦っている一人の判然としない人間の姿、この刈る人に、僕は、死の影像を見ている、と言うのは、人間共は、こいつが刈っている麦かも知れぬという意味でだ。今度のは以前に試みた麦刈りの真反対だと言いたければ言ってもいいが、この死には悲しいものは少しもないのだ。あらゆるものの上に純金の光を漲らす太陽とともに、死は、白昼、己れの道を進んで行くのだ。……さあ、《刈入れ》が出来上った、君が手許に置いていい絵の一つだと僕は思うよ。自然という偉大な本の語る死の影像だ、だが僕が描こうとしたのは殆ど微笑している死だ。紫色の岡の線を除いては、凡てが黄色だ、薄い明るい黄色だ。獄房の鉄格子越しに、こんな具合に景色が眺められるとは、われ乍ら妙な事だよ。扨て、今僕が抱き始めた希望とはどんなものか、君には解るかな。僕にとっての自然、土くれや草や黄色い麦や百姓は、君にとっての家庭の様なものだろうという希望だ、と言うのは、君は人々に対する君の愛の裡に、必要とあれば、ただ人々の為に働くばかりではなく、自分を慰め、自分を建て直す何物かを見付けてよろしい、という意味だ』〔ルビ――漲(みなぎ)、傍点――殆ど微笑している、為に働くばかりではなく〕(同上、148-149頁)。
このように、“自分を慰める”という作画動機には、人間と自然を乖離させた「近代」を超克するという狙いがあったのです。ゴッホにとって、「宗教的無私」でおのれの「狂気」を見張ることとは、これまで検討してきた、自然と感情(人間)、デッサン(線)と色彩の対立関係を昇華させるものでした。
ゴッホと宗教
「近代」の超克という課題において焦点となるのが、神に対する姿勢です。当然、神という場合、当初ゴッホは牧師を目指していたため、キリストになりますが、彼の信仰心はどうなったのでしょうか。
一方、小林によれば、「画家の魂と聖者の魂との不思議な混淆は、彼の生涯を通して見られる様に思われる」〔ルビ――混淆(こんこう)〕(同上、17頁)。「彼はもう聖書を読まなかった。教会も牧師も信じてはいなかった。併しキリストの姿が忘れられたわけではない」(同上、88頁)。
ゴッホは言う。『キリスト一人だ、あらゆる哲学者達、魔術師達その他の中で、キリスト一人だ、永遠の生と、無限の時と、不死こそ確実である、と断言し、平安と献身との必要、その存在理由を確言したのは。彼は清らかな活きた、芸術家中の最大の芸術家として、大理石も粘土も色彩も軽蔑して、生きた身体で働いた。〔中略〕彼は生きた人間達を作った、不死の人間達を作った』〔傍点――芸術家中の最大の芸術家として、大理石も粘土も色彩も軽蔑して、生きた身体で働いた、生きた人間達〕(同上、88-89頁)。
他方、ボンゲルは、次のように述べています。たしかに、説教師を目指していたとき、ゴッホは、「救済を宗教に求め」ていました(ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』東京書籍、2020年、70頁)。しかし、ゴッホは次第に、「それまで保っていた神への信仰心さえも失うに至った(聖書の引用と信仰についての考察は手紙のなかにしだいに現れなくなり、終わりの方の手紙ではついに完全に姿を消した)」(同上、76頁)。
ゴッホが日本人の描き方に憧れて、自然と人間との一体化を目指したのであれば、「近代」を成立せしめたヨーロッパ文明とキリスト教に対する疑問が生じてきたのは、当然のことでしょう。そのため、小林は、次のように述べます。
「このオランダ人の血管には、バロックの血が流れていた。彼の書簡集で、いつも畏敬の念をもって語られている画家はレンブラントだが、レンブラントはスピノザの嫡子である。スピノザも亦、別の言葉で理想を同じ様に定義している。『神を愛するものは、神から報酬を期待する事は出来ない』と。無限なもの、究極のものへの飢渇が、絶えずゴッホを駆り立てていたのであるが、こういう類いの大理想家達が、キリスト以来、例外なく、人間世界の鋭い、仮借ない観察家であった事は、興味ある事である。徹底した究極の理想にしか動かされぬ様な人が、どうして、現実の姿を曇らすあれこれの理想などに興味を持とうか」(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、93頁)。
実際、ゴッホは、次のように述べています。『僕は君に、夢想する画家、想像によって描く画家を示した。だが、僕は最初に、オランダ画家の特徴は、何物も発明せず、想像も幻想も抱かぬところにあると語った。矛盾であるか。違う』(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、84頁)。
要するに、小林によれば、「近代」の超克とは、神に問いかけるという「自力」によって、宗教的体験――精神(人間)と物質(自然)が統一される――を為すことなのです。このシリーズでは、「統合失調症」を罹患した筆者の闘病体験に基づいて、小林秀雄のゴッホ論を解釈しました。