「人間性」の問題
前回は、ゴッホの絵画の技術を検討しました。ゴッホが悩んでいたこととは、自然と感情、線と色の衝突という問題でした。小林秀雄によれば、絵を描く時のゴッホの態度は、精神疾患に対するゴッホの態度に基づいていました。つまり、「無私」が「狂気」を見張るように、デッサンは「色彩の狂熱を見張る番人の様なもの」だったのです。
この前提に基づいて、ゴッホはおのれの「狂気」を「創造性」にまで高めることに成功したとする、小林秀雄の論理は成り立っているのです。今回は、改めて、ゴッホの絵画技術の背景にあった、自然と人間の関係について検討しておきましょう。
小林が指摘しているように、ゴッホの思想的背景には、現代文明批判がありました。《馬鈴薯を食う人々》に関して言えば、「色は、勿論、掘りたての泥だらけの見事な馬鈴薯の色」でした(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、66頁)。
「僕は、こういう事をはっきりさせようと思ったのだ、ランプ灯の下で馬鈴薯を食うこういう人達は、皿を取るその同じ手で土を掘ったのだ、と。つまりこの画は手仕事というものを語っているのだ、彼等が正直に食を稼ぎ取ったと語っているのだよ。われわれ文明化した人達とは、全然違った生活の道があるという印象が与えたかったのだ」〔傍点――手仕事というもの〕(同上、46-47頁)。
パリに来て、「ゴッホにはいよいよ切実なものになった」のは、「風景画にいかにして人間を奪回すべきか」という問題でした。「彼には、自然とは不安定な色彩の運動ではなく、根源的な不思議な力で語りかける確固たる性格なのであり、人間も、この力との直接な不断の交渉によってのみ、本当の性格を得ると彼は信じて来た」(以上、同上、70-71頁)。
小林によれば、アルルにおいて「勝利は来た、光は変り、色は変った。だが、彼の自然観が変ったわけではない。依然として労働は彼の人生の綱領であり、労働による自然との直接関係のなかにしか、彼はいかなる美学も倫理学も認めていない。彼のナチュラリスムとは、自然との不断の格闘の事であり、この格闘により、自然は人間の刻印を受け、人間は自然の刻印を受ける。この一全体を、饒舌と作為とによって解体しようとする現代に抗して彼は『人間性』と呼ぶのである。彼を駆り立てる彼に親しい魔神も其処にいた」〔ルビ――饒舌(じょうぜつ)、人間性(ユマニテ)、其処(そこ)〕(同上、86-87頁)。
日本人と宗教
さて、「人間の奪回」という試みのなかで、ゴッホに感銘を与えたのが、日本の絵画でした。「テクニックの問題。〔中略〕日本人は、反射を考えず、平板な色を次々に並べ、動きと形とを捕える独特の線を出しているのだ。〔中略〕彼等は、娘の艶のない青白い肌と黒い髪のコントラストを、驚くほど巧みに表現している、而も一枚の白い紙に筆を四度使っただけで」〔ルビ――艶(つや)〕(同上、78-79頁)。
小林は言う。「これは成る程テクニックの問題だが、其処には、日本人に関するゴッホの勝手な夢想があって、これが、彼の憎む現代文明と強い対照をなしていた事も亦重要である」(同上、79頁)。
この点に関して言えば、ゴッホは、「日本の浮世絵の線と色との不思議な諧和」〔ルビ――諧和(かいわ)〕に烈しい関心を抱いていました(同上、70頁)。ゴッホに言わせると、「日本人の様な原始人の絵」(同上、81頁)においては、自然の中に人間が溶け込んでいるのです。
要するに、ゴッホが日本人に感銘を受けた理由とは、日本人が自然と一体化していたからなのです。
「日本の芸術を研究していると、賢者でもあり哲学者でもあり、而も才気煥発の一人の人間が見えて来る。〔中略〕彼は、ただ草の葉の形をしらべているのだよ。併しこの一枚の草の葉から、やがて凡ての植物を描く道が開かれる、それから季節を、田園の広い風景を、動物を、人間を。〔中略〕自ら花となって、自然の裡に生きている単純な日本人達が、僕等に教えるものは、実際、宗教と言ってもいいではないか。僕は思うのだが、君が若し日本の芸術を研究するなら、もっと陽気に、もっと幸福にならなければ駄目だ。僕等は、この紋切型の世間の仕事や教育を棄てて、自然に還らなければ駄目だ。……僕は日本人がその凡ての制作のうちに持っている極度の清潔を羨望する。決して冗漫なところもないし、性急なところもない。彼等の制作は呼吸の様に単純だ。まるで着物のボタンをかけるとでもいう具合に、僅かばかりの筆使いで、いつも苦もなく形を描き上げる。ああ、僕も亦何時かは、そんな具合に描ける様にならねばならぬ。この仕事でこの冬一っぱいは潰れるだろう。それが出来る様になったら、往来を歩いている人間だろうが、町だろうが、新しい主題が幾らでもやれるだろう」〔ルビ――煥発(かんぱつ)、凡(すべ)、裡(うち)、若(も)、僅(わず)〕(同上、80頁)。
この記述を読むならば、ゴッホが精神疾患に苦しんでいた最中に、日本の浮世絵を学習していた理由が分かります。「明るい空の下で自然を眺めれば、日本人の感じ方や描き方について、もっといい観念が得られるだろうと考えた」(同上、150頁)。
「宗教的無私」の論理と意味
いずれにしても、重要なことは、小林がゴッホの手紙から、「宗教的無私」という核心を抽出している点です。小林は、次のゴッホの手紙を引用しています。
『困難な仕事をする事が、僕にとってはよい事なのだ。併し、そうだからと言って、これは一方、僕が一つの恐ろしい必要を感じている事を妨げない。思い切って言おうか、それは宗教という必要だ。僕は夜になると星を描きに外出する。そしてそういう絵に、僕等の仲間の生きた人間達の一群を描き入れる事を常に夢想しているのだ』(同上、93頁)。
ここで改めて、小林の考察を踏まえて、ゴッホの「無私」について確認しておきましょう。それは、先に「自分の内」を視て、その次に「自分の外」を視るという論理でした。すでに検討したように、そもそもゴッホは、自然との交渉の中で、「無私の精神」を培いました。ゴッホの特異性は、その「無私の精神」で、おのれの「狂気」を直視した点にあります。
小林が重視するのは、「狂気」という「個性」を克服するべく、自分で自分を批判していたという、ゴッホの態度です(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、300-301頁)。小林によれば、ゴッホは、このような精神疾患に対する態度に基づいて、自然との一体化を模索し、さらに、その思想を絵画で表現しようとしたのです。
この「宗教的無私」は、ゴッホをして、「自分の外」をあるがままに受け入れさせようとしていました。実際、ゴッホは、次のように述べています。すなわち、「麦畠が語る言葉を聞いた」「自然が、こんなに心を緊めつける様な感情に満ちて見えた事は、決して、決してなかった」、と(拙稿「ゴッホの手紙」(4)・(8)を参照ください)。
たしかに、小林が指摘するように、ゴッホは、すでにアルル以前に、人間の性格とは「自然を相手の勤労が形成する形である、という信念」を有していました(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、71-72頁)。たとえば、《馬鈴薯を食う人々》では、「其処で自然は、〔中略〕人間の様な顔をしてみせた。ゴッホなら、事実、彼は、本当の性格というものを持った人間である、と附言したかったであろう」(同上、53頁)。
とはいえ、「ゴッホの様に、烈しい妄想の襲来と戦わねばならなかった人は、その故にいよいよ磨ぎすまされた鋭い意識を持つ様になった」(小林、前掲『小林秀雄全作品22』、303頁)。たとえば、ゴッホは手紙で、次の兵卒の言葉を強調しています。「貴方は海の様に美しいと言うが、これは大洋の海より美しいと俺は思うな。人間が棲んでいるものな、と」〔傍点――人間が棲んでいる〕(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、87頁)。