デッサンと色彩の格闘
今回は、ゴッホの絵画の技術論の本質を抽出するべく、小林秀雄の議論を考察します。
小林は言う。「絵画は目的ではない、手段に過ぎないと、熱狂の合い間に、何者かが彼に囁く。では何の為の手段か。不思議な事だが、それを知る為に、この現実家には、自分に残された唯一の現実の技術、色や線に関する技術しか信用出来なかった」〔ルビ――囁(ささや)〕(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、26頁)。
まず、ボリナージュの炭坑時代に、ゴッホは、対象を忠実にデッサンしていました。説教師を志していた頃、ゴッホは、自然や「変り様のない事実」と向き合っていたのです。それは、小林が指摘するように、「画家は、一種の観念や感覚を以って、自然に近附くと自負してはなるまい」という姿勢なのです(以上、小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、96頁)。
こうした「無私の精神」について、ゴッホは、次のように述べています。「僕は、いつも自然を食べて待っている。誇張してみる事もあるし、時にはモチフを変えてみる事もある。併し、結局、画面全体を発明して了うという事は、決してないのだ。それどころか、画面は、自然の中で縺れが解けて、自ら出来上って現れて来る」。小林によれば、「画家自らの意識も、こうなってはもはや解けて了った縺れに過ぎない」〔ルビ――縺(もつ)〕(以上、小林、前掲『小林秀雄全作品20』、95頁)。
次に、前回指摘しましたが、ゴッホにとって、「色彩の問題」が「新しい難問」として浮上してきました。「問題は、外部から知覚に達する色彩ではない、これに画家の精神が暗黙のうちに附与する内的な意味合いである。色彩は誰にでも知覚されるが、色彩による表現は、画家だけに属する。表現するとは、自然に対抗して、ゴッホの言葉では〔中略〕(創り、行う)事だ。彼は、遂にこう言い切るに至る。『自分自身の色調の調和から、自分のパレットの色から出発せよ。自然の色から出発するな』」(以上、同上、68頁)。
「彼にとっては色彩の不安定は、光の分析によって現れるのではない。内的な感情の動きに結びついた色が動揺するのである」(小林、前掲『小林秀雄全作品22』、99頁)。「彼は、抑え切れぬ内部の想いを吐露しようとして、自ら大胆な自由な色彩の使用に誘われた。〔中略〕彼が、はっきり言えたのは、その色彩の緊張には、発狂が賭けられていた、という事だ」(同上、98頁)。
実際、すでに言及しましたが、ゴッホがフランスのアルルに移住した後で、「黄色の高い色調」の絵が登場したのです。ゴッホが理解していたように、黄色という色彩を出すには、心が狂わなければ不可能であったと言えるでしょう。
発狂を見張る番人
ここで整理しておくと、「自然の色から出発するな」というゴッホの言葉にあるように、線と色、あるいは、自然と感情との対立という図式なのです。
小林の解釈を理解する上で、次のゴッホの手紙がきわめて重要です。「『絵画に於ける色彩とは、人生に於ける狂熱の様なものだ。これの番をするのは並大抵の事ではない』」(同上、99頁)。
以上のゴッホの手紙を踏まえて、小林は、以下のように考察しています。「デッサンは、彼にとって色彩の狂熱を見張る番人の様なものだったかも知れないのである」。また、小林は、ゴッホの手紙と絵画を考察した上で、「デッサンは、ゴッホの番人だったという考えが私に浮んだ」、と所見を披瀝しています(以上、同上)。
具体的に、小林は、次のように説明しています。「これを見ていると、線というものの性質の命ずる限定とか選択とかいうものによって、動揺する画家の心が抑えられて緊張する様がよく感じられるのである。小さな素朴な花を群がりつけた優しい雑草の線は、自制された画家の激する想いを担い、点化すれば、色彩の渦となって燃え上りはしないかと思われる。そういうデッサンの充実した不思議なリズムは、オランダ時代、ひたすら人間や事物の真形を見極めようとして描いたと思われる幾多のデッサンには見られなかったものである」(同上、100頁)。
「自然から出発すべきか、自分のパレットから出発すべきか、という問題は、技法の上では、デッサンと色彩との、鋭く対立する矛盾となって、この短命を予感した性急な画家には、現れた様である。麦の黄金色に、彼の心が、いよいよ高鳴れば、埃にまみれ、色褪せた、取るに足らぬ雑草の線が、彼の葦ペンを否応なく惹きつける」〔ルビ――埃(ほこり)、褪(あ)、葦(あし)〕(同上、101頁)。
小林は、「ゴッホの天才とは、傑作とは何か」、と問います。「独自の様式に達したゴッホの絵は、奔放な色彩だけで出来ているのではない。色とデッサンとの格闘によるのである。彼の傑作を眺めていると、彼の明察は、両者の矛盾による緊張を希っていたという風にさえ思われて来る」〔ルビ――希(ねが)〕(同上)。
絵画の技術の開発
以上のような対立・格闘から、ゴッホの技術が生まれたのです。その技術とは、一と刷毛(ひとはけ)で、素早く描くことです。長くなりますが、小林は、次のようなゴッホの手紙を引用しています。
「『自然から学ぶこと、自然と格闘する事、僕はこれを放棄しようとは思わない。何年も何年も、そうやって来たのだ。何んの得るところもなく、到る処でひどい失敗だらけだったが。僕は、僕の間違いを見失って了ったとはどうしても思いたくない。と言うのは、いつも同じ道を行くのは馬鹿々々しい、という意味で、僕の苦しみが全く無駄だったという意味ではない。直すには先ず殺さなくては、と医者も言う。先ず自然に追随しようとする望みのない苦闘から始める、何もかもうまく行かない、遂に自分のパレットから静かに創造するというところに行きつく、自然がこれに同意し、これに従う。併しこの二つのものの対立と言っても、別々に二つが在るというのではない。どんなに無駄に見えようが、あくせくとやっている事が、自然と親しくなる道なのだ、物に関する健全な智慧を得る道なのだ』」〔傍点――間違い、ルビ――智慧(ちえ)〕(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、68頁)。
「『古いオランダの絵を再び見て、一番痛感した事は、フランス・ハルス、レンブラント、ルイスデール其他の大家達の絵の殆どすべてが、皆、素早く描かれたものだという事だ、作品は、最初の一と刷毛から一気に仕上げられ、やり直しという事は、あんまりやっておらぬ』〔中略〕『僕には、どうしたらいいか、どう進んだらいいかわからぬ。だが、一と刷毛でという最近得た教訓は忘れ度くないものだ、すべての精神力と注意力との、絶対完全な行使による一と刷毛。今は、絵筆で仕事をするのが一番いい』」〔傍点――素早く描かれた、一と刷毛、ルビ――度(た)〕(同上、69頁)。
このように、ゴッホは、自然と感情の対立、線と色の格闘を通じて、絵画の技術を開発するに至ったのです。以上のゴッホの手紙を踏まえて、小林は、次のように述べています。
「画家には画家の、あくせくやってみる事がある。ゴッホが、何年もの間、ひたすら自然から学ぼうとしていた時、彼を支えていたものは、何を置いても先ず正確なデッサン、驚くべきミレーの描線であった。パレットから出発しようとして、彼が痛切に意識した自然という対象と、内部から創り出すものとの対立は、ただあくせくやってみる他はない実際の技術上の、デッサンと色との葛藤とならざるを得なかったと思われる」(同上)。