「あるがままに受け取らねばならぬ」
今回は、前回の「無私」に関する考察に基づいて、精神疾患に対するゴッホの態度について再検討します。その理由は、精神疾患に対する態度が、実は、作品を制作する態度に活かされていたからなのです。
さて、前回確認したように、ゴッホの「無私」は、「狂気」を克服しようとしていました。「僕には、熱情や狂気やデルフィの祭壇からのギリシアの神託の様な予言に、どう仕様もなく捕えられる瞬間があるのだよ。〔中略〕僕が心から愛するものを悉く台無しにして了う僕の狂気など、僕は現実として容認しない。僕は贋予言者にはならぬ」(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、120-121頁)。
ゴッホは、自身の「狂気」とその対処法について、以下のように述べています。
「狂気も他の病気並みのものと考え、そういうものとして受け容れ始めてから、少しは気が楽になった。処が、発作中には、想像するところをすべて現実だと思って了うのだよ。まあ、そういう事は、考えたくも喋りたくもない。説明は勘弁して欲しい」(同上、130頁)。
「時々、僕は、丁度物言わぬ希望のない絶壁に、砕ける波のような何者かを、例えば雌鳥型の女でも抱擁したいという欲望の嵐を感ずる。が、要するにそれは、現実生活の中の夢想というより寧ろヒステリイの昂奮の現れなのだ、そういうものはあるが儘に受け取らねばならぬ」〔ルビ――儘(まま)〕(同上、131頁)。
「僕等に出来る最上の事はね、君、僕等の小さな不幸を滑稽だと思う事だ、或る意味では、人生の大きな不幸も亦ね。男らしく引受けて、決勝点に駆け込むんだな」(同上、127頁)。
「重ねて来た過失に、これから重ねねばならぬ過失に、又しても打勝つ勇気を持つ事、つまりそれが僕の病気の治癒というものに違いない」(同上、145頁)。「僕はやはりよく心得ているのだ、もし勇気があれば、苦痛や死に身をまかせ切り、自己本位の意欲や愛を屈服させる処から、治癒は来る、と」(同上、154頁)。
「外」からの影響
要するに、「無私」とは、“あるがままに受け入れる”ということなのです。ゴッホの「無私」は、おのれの精神疾患の原因について問いました。何が自分を狂わせているのか、と。
「君は解ってくれるだろうが、僕は二回目の発作を一回目の発作と比べてみようとした。そして、ただこういう事が君に言える、二回目のは、どうも僕の裡にあるものが原因だったというより寧ろ外部からの何や彼やの影響から起ったものだ、と。僕は間違っているかも知れぬ、だが、何はともあれ、僕には宗教に関する誇張された考えはすべて堪らないのだ、それは君も正しいと感じてくれるだろう」(同上、154頁)。
つまり、「外部からの影響」によって、「宗教に関する誇張された考え」が生まれるのです。
具体例を挙げると、弟の結婚です。ゴッホは、弟の結婚を喜んでいることを、手紙で伝えています。これが、「真の愛」でしょう。「事を在るが儘に受け納れてくれ。君の家庭がうまく行っているのを知る事は、君が考える以上に、私を勇気付け、僕を支えてくれるのだ」(同上、161頁)。
ただ同時に、ゴッホは、弟夫婦を気遣いながら、遠回しに次の点も伝えています。すなわち、弟が結婚することで送金に影響が出ることについて、自分が悩んでいることを知ってもらいたい、と。これは、「芸術への愛」です。
「僕の生活も根元から脅かされている、そして、僕の足もふら付いている。実は、僕は、恐れていた、若しやと恐れていた。僕が君の重荷になり、君が僕を荷厄介に感じているのではないか、と。併し、ヨオの手紙ではっきり解った、君達同様、僕も苦しみ悩んでいる事を、君が理解してくれている、と」(同上、172頁)。
ちなみに、ゴッホは、妻も子もいないということに関しては、もう諦めたと吐露しています。「神経を張りつめ通しにして、絵など描いているより、子供を育てる方がいい事だと思う。と言ってどうするのだ。人生のやり直しをして、違った望みを抱く事は、僕はもう年をとり過ぎたと感じている。そういう望みは、もう僕を去った。去った後に苦しい想いは残っているが」(同上、172-173頁)。
「宗教的無私」と「宗教的錯乱」
これまでの考察を踏まえると、次のように解釈することができます。内発的動機に従って創造的行為をしているが、自分でお金を稼ぐことができない上に、妻も子もいない。「真の愛」に手が届かなくなると、「自分の外」からの影響が大きくなってくるのだ。
「発作のひどい時には、ゴッホは意識を失うのですが、恢復期には様々な妄想に苦しんだ。どうしようもない憂鬱が来るかと思えば、恐ろしい様な法悦がやって来る。だが、そういうものに関して、彼は一言も語っていません。語りたくない、と言っている。想像をどうしても現実と思い込んで了うのは、いかにも辛い事だ、と言っている。憂鬱が襲来する時の苦しさは、医者が二度と眼を覚さぬ様にして置いてくれたらと思うほどだと言っている。混乱した宗教的観念に襲われた時には、贋予言者にはならぬ、という覚悟を語っています」(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、301-302頁)。
小林秀雄が指摘しているように、ゴッホは、「外」から襲ってくる憂鬱に直面しつつも、「自分の外」ではなく、「自分の内」から出発しようとしていたのです。だとすれば、ゴッホの「無私」(意識)とは、「自分の内」を先に視ることによって、「自分の外」からの影響についても、あるがままに受け入れようとすることだと言えるのです。
ところで、冒頭で言及したように、ゴッホにおいて「無私」と「狂気」は、鋭く対立しています。小林によれば、ゴッホが「宗教的錯乱」と呼ぶ「狂気」に対して、彼は「宗教的無私」によって、それを克服しようとしました。
「此処で起る発作の性質が、馬鹿々々しい宗教的な傾向を帯びて来る〔中略〕僕は宗教に無頓着ではない、病気中でさえ、宗教的思想は、時々、僕の大きな慰安になったのだ。〔中略〕彼女達にしてみればこういう病的な宗教的錯乱が醸成したくて堪らないのだよ。治癒を要するのは、まさにそういう錯乱ではないか」(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、151-152頁)。
ゴッホが述べたように、「宗教的錯乱」というのは、「外」からの影響が大きくなることによって生ずるものです。筆者の分析視角に従って言えば、「自分の内」よりも先に「自分の外」を視てしまうということです。
それでは、「無私」によって「狂気」を克服するという場合、ゴッホにおいて「宗教」はどのような役割を果たしていたのでしょうか。