ゴッホの手紙(11)

「愛」と「理想」

 今回も、前回に引き続いて、小林秀雄のゴッホ論の中核に位置する「意識」について、さらに掘り下げて検討していきます。小林の論理は、「狂気」を「創造性」にまで高めるという流れが基調でしたが、「創造性」が「狂気」に変わるという流れも混在していました。そして、この2つの流れをともに生んでいるもの、言い換えると、「狂気」と「理性」に関する問答が、「意識」だったのです。

 さて、「意識」とは「問い」のことでしたが、この「問い」は「愛」から生まれていました。付言すると、小林は、この「愛」について、次のように述べています。

 「彼は、普通な意味で所謂幻滅を味ったのではない。〔中略〕彼の胸の裡の言葉なき愛が叫ぶ、何処にどんな言葉を求めたらいいか、と。これがこの異様な画家の門出である。言わば、この人には、絵のモチフは、人生のモチフより決定的に遅れて来た」(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、25頁)。

 また、「愛」とは「理想」です。

 小林によれば、「無限なもの、究極のものへの飢渇が、絶えずゴッホを駆り立てていた」。「理想が彼を捕え、彼を食い尽したのである」。「ゴッホは、文字通りトルストイ的定義に従って、これ〔理想――中西〕を、『自分が常に感じている恐ろしい必要』と呼んだ」(以上、小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、93頁)。

 ゴッホの弟の妻・ボンゲルによれば、ゴッホは、この「理想」に従って、以下のことを目指していました。「自分を卑下し、忘れ、犠牲にすることで『自分自身のうちに死ぬこと〔中略〕』(つまり自分の感情や欲求を断つこと)を彼はめざしたのだ」(ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』東京書籍、2020年、70頁)。

「無私」とは何か

 こうした点を踏まえると、小林が次のように述べた理由が分かります。「ゴッホの無私とは、この『恐ろしい必要』の事だ」(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、93頁)。

 「言葉を扱っても、彼の表現力は、強く豊かで、天賦の才を示しているが、もっと驚くべきものは、彼の天賦の無私であろう。彼の無私が、彼の個性的な一切の性癖を透過して言葉を捕える様に見える。たしかに彼の『書簡集』は、彼の意に反して個性的である。では、彼が無私に表現せんとする意志に最も強く抵抗した、彼のうちの最も個性的なものは何んであったか。言う迄もなく、精神分裂症である」(小林、前掲『小林秀雄全作品22』、88頁)。

 この「無私」と「精神分裂症」の関係を示しているのが、ゴッホの手紙における、次の言葉です。「要するに、常に誠実である様に努力するのが、恐らく僕の病気を防ぐ唯一の道であろう」(同上、88-89頁)。

 小林は言う。「発作は何処から来たか、彼の知らぬ間に、彼の内部の何処で準備されていたか。恢復期に現れる昏迷や錯乱のうちに、狂気と正気とのけじめをどうつけたらよいか。宗教的な心の昂揚は、病魔の業かも知れないし、絶望や感情の沈滞は、正気のきざしかも知れない。彼のいう誠実であろうとする努力とは、そういう誰とも分つ事の出来ぬ奇怪な問いの苦しみだったのである」(同上、89頁)。

 「健康と病気との対立が、或は正気と狂気との区別が問題なのではない。そういう果しない問答を見下す視点が、彼には欲しかった。それは、普通の意味で、傍観的な立場を言うのではない。そういう視点を、わがものとしなければ生きて行けないところに追い詰められていたのである」(同上、89-90頁)。

「意識」と「無私」

 重要なことは、小林にあっては、「意識」(問い)と「無私」が対立的な関係にはないということです。否、両者は一致していると言った方が、むしろ正確なのです。

 前述したように、「誠実であろうとする努力」(無私)とは、「奇怪な問いの苦しみ」でした。あるいは、ゴッホが欲していた「果しない問答を見下す視点」こそが、「無私」なのでした。

 「手紙は言う。『自然が実に美しい近頃、時々、僕は恐ろしい様な透視力に見舞われる。僕はもう自分を意識しない。絵は、まるで夢の中にいる様な具合に、僕の処へやって来る』。彼は、忘我のうちに、何かに強迫される様に、修正も補筆も不可能な絵を、非常な速度で描いたのだが、手紙の文体は、同じ人間の同じやり方を示している。絵にあらわれた同じ天才の刻印が、手紙にも明らかに現れている。彼の書簡集を読む者は、彼が、手紙を書きながら、『恐ろしい様な透視力に見舞われている』のを感ずる。『夢の中にいる様な具合に』言葉が彼のところにやって来るのを感ずる。忘我のうちになされた告白、私は、敢えてそんな言葉が使いたくなる。そういう告白だけが真実なものだと言いたくなる」(同上、85頁)。

 すでに検討したように、小林によれば、とくにアルル以降のゴッホの作品は、「自画像の視点」で描かれていました。すなわち、ゴッホは、「意識」の力でおのれの「狂気」を直視することによって、絵を描いていたのです。

 だとすると問題は、普通であれば、「無私」(忘我)とは「意識」をなくすということであるにもかかわらず、なぜ小林にあっては、「意識」が働くことが「忘我」であるのかということです。

 その理由は、小林の言う「意識」が、先に「自分の内」を視ているからなのです。ゴッホは、おのれの「狂気」を直視してから、次に「自分の外」を視ているのです(拙稿「ゴッホの手紙(4)」を参照ください)。この点については、次回以降、改めて証明していきます。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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