論理の混在
今回からは、小林秀雄の議論に対する批判を整理した上で、「意識」の問題について深く掘り下げて検討していきます。はじめに、改めて確認しておくと、以下の小林の議論には、“矛盾した論理”が含まれています。
「絵は忘我と陶酔とのうちに成り、『自分で自分の仕事の判断もつかぬ。善し悪しも見えぬ』と言う。併し、大事なのは、彼自身この異常な精神の昂揚のうちに、何か不吉なもののあるのをはっきり嗅ぎつけていた事である。強迫するものは太陽だけではない。自分を襲うものは自分自身の中にもある。書簡を読んで行くと、大発作の起った十二月が近づくにつれ、彼の予感が、次第に強くなって来るのがはっきりわかるのである。サン・レミイの病院にあって、『自分に振られた狂人の役を素直に受入れよう』と心を定めて了ったゴッホは、前年、アルルで達した『黄色の高い色調』を回想し、あれほどの黄金色の緊張を必要とし、これに達し得たというのも、心が狂わなければ不可能な事だったであろうと言っている」〔ルビ――併(しか)〕(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、97-98頁)。
一方で、以前に論じたように、ゴッホが精神疾患を創造性にまで高めえた理由は、彼が「意識」の力で「狂気」を直視したからです。他方で、ゴッホが絵の仕事をする際の「異常な精神の昂揚のうち」にこそ、ゴッホを破滅へと導く「何か不吉なもの」が潜んでいたのです。
したがって、「意識」が、「狂気」を「創造性」にまで高めさせただけでなく、「創造性」を「狂気」に変えることによってゴッホを死に至らしめた点も、見逃してはなりません。
「ゴッホは、自分の病気について、非常に鋭い病識を持っていた。彼が、発病から自殺に至るまで、自分の病気と戦って来た武器は、それ以外にはなかったのである。病気は、遂に、彼に勝った様に見えるが、病気は、彼を錯乱のうちに倒す事は出来なかった。命を絶ったのは、彼自身の仮借のない認識の力であった」(同上、88頁)。
苦しみの原因を探る
前回検討しましたが、かくの如き「意識」の作用を表現しているのが、『芸術への愛が真の愛を失わせているのだ』という言葉です。実際、ゴッホは弟のテオに、画家としての野心が、普通に生きることを難しくしているという点について書いています。
「もう一つ物の道理がある、総ての野心を棄てれば、僕等は、お互に傷つけ合う事なく、まだ幾年も一緒に生きて行く事は出来る」〔傍点――総ての野心を棄てれば〕。ところが、「仕事を止めると、折角苦労して達したこの楽な筆使いを、忽ちやすやすと失って了うだろう」〔ルビ――忽(たちま)〕(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、171頁)。
小林によれば、ある精神学者が言うように、「ゴッホは、その芸術に於いて個性的であったと同様に、その疾患に於いても個性的な人間であった」。しかし、小林によれば、ゴッホ当人がこの結論を読んだとしたら、次のように答えるであろう(以下、小林秀雄『ゴッホの手紙』新潮社、2020年、234-235頁)。
「私が持っていた個性のうちで最強の個性即ち私の疾患とは、私が戦うべき最強の敵であった。戦ってみたが、遂に力尽きて、私は自殺したではないか。〔中略〕私は、自分の個性的なものなぞ、なければないで済せたかった。私は、どんなに普通な平凡な人間になりたかったか、とそう言うかも知れない。これは想像ではなく、この苦しみは、彼が遺した書簡集を通読すれば、明らかな事なのです」(同上)。
この苦しみは、弟の結婚という例を見ても明らかです。まず、「ヨー〔ボンゲル――中西〕自身の記述によれば1888年のクリスマス直前、彼女がテオと婚約したことを明らかにしたそのすぐあとにフィンセントは発作に襲われ、あの耳切り事件が起こったのだという」(ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』東京書籍、2020年、25頁)。
「おそらく弟の結婚を祝福する気持ちと、すっかりその弟に頼り切っている自身の財政状況が、この結婚で悪化しないかと案ずる気持ちの両方だったのだろう」(同上)。つまり、画家としての野心が、弟の幸せを素直に喜ぶことさえ妨げているということなのです。
ちなみに、以上の苦しみと関連して、ゴッホは「人間には讃められる事が本当に必要なのだ」と考えていましたが、後に「世間に名前が出るという事に、もう堪えられぬ程、心労で参っている」と述べて、美術批評家に論評されないことを願うようになりました〔ルビ――讃(ほ)〕(小林、前掲『小林秀雄全作品20』、160-161頁)。
「深い真面目な愛」
さて、以下のゴッホの手紙からは、前半部分の「問い」(意識)が、内から外へ向かう流れとともに、外から内へ向かう流れをも生み出していることが読み取れます。
「僕が物事を否認すると考えてはいけない、僕は寧ろ自分の不忠実に忠実なのである。変った事は変ったが、僕はやっぱり僕なのだ、僕の唯一の関心は、どうしたら世間の役に立つ身になれるだろうか、何かの目的に適う人に、何か善い事の出来る人になれるだろうか、どうしたらもっと稼いで、一定の題目を深く究める事が出来るだろうか、それだけなのだよ、一途に思い込んでいるのは。ところで、われとわが身を顧れば、貧窮の俘囚で、職にはあり付けず、必要物は手のとどかぬ処に在る。あんまり楽しくはなかろうじゃないか。すると、友愛と強い真面目な愛情があるべき処に、或る空虚があるのを感ずる。倫理的精気さえ蝕む様な恐ろしい落胆がやって来る。運命は愛情の本能もせき止める様に思われ、嫌悪の情が込み上げて来て、息が詰まる。ああ、何時までつづくのか、と叫ぶ。扨て、何を語ればよいのか。内部の思想が、外部に現れるなどという事があるのだろうか。僕等の魂の中には大きな火があるのだろうが、誰も暖まりにやって来る者はない、通りすがりの人は、煙突から煙が少々出ているのを見るだけで行って了う」〔ルビ――俘囚(とりこ)、扨(さ)〕(同上、22-23頁)。
小林によれば、「当時の弟に宛てた長い手紙を読むと、彼を苦しめたものが、幻滅や絶望や憤懣ではなかった事がよくわかる。彼を一番苦しめたものは、彼の言葉で言えば、『深い真面目な愛』が、今度は何処に出口を見つければいいのかという事であった」〔ルビ――憤懣(ふんまん)〕(小林、前掲『小林秀雄全作品22』、2004年、95頁)。
このゴッホの手紙は、ボリナージュの炭坑にいた頃に書かれたものです。当時ゴッホは、説教師になることを断念せざるをえなくなって、次に何をなすべきかについて真剣に問い詰めていたのでしょう。「狂気」を「創造性」に高める上で「意識」が重要な意義を有するという小林の指摘を踏まえるならば、ゴッホの「問い」(意識)を生んでいたのは、彼の「深い真面目な愛」だったのです。
いずれにせよ、重要なことは、ゴッホの狙いが、内から外へ向かうという流れであったにせよ、問いを推し進めて苦しみの原因を探ると、「空虚」「落胆」「嫌悪」が押し寄せてきたという点です。説教師になることに挫折する中で、ゴッホの愛は芸術に向かう。ところが、その愛が、真の愛を失わせることになった。「意識」の作用に着目すれば、ゴッホが以上の点を認識したことが、精神疾患の症状を悪化させ、遂には自らピストルの引き金を引かせたということになるのです。