ゴッホの「絶望」と「真実」
今回からは、前回説明した筆者の仮説を証明するべく、小林秀雄の論理を批判的に検討していきます。前回論じたように、ゴッホは次のように問いかけて、「絶望」を「真実」に変えました。すなわち、自分は何者なのか、と。
実際、小林秀雄は、以下のように書いています。「ゴッホは、画家になる前に、牧師となろうとした人である。先ず、彼を捕えたのはキリストであり、伝道者としての生活に、大きな幻滅と絶望を経験した後、この大きな渇望を絵で満たそうとした人である」(小林秀雄『ゴッホの手紙』新潮社、2020年、228-229頁)。
「何か彼の知らぬものが、彼をキリストへ駆り立て、ボリナージュの炭坑に押しやった。つづいて生活の絶望と貧窮とが、彼のうちに眠っていた画家を目覚まし、彼をブラッセルに追いやった。如何に生くべきかの問いが現れた人生の首途から、ゴッホは嵐の中にあった」(同上)。
たしかに、「意識」の力で“自己の存在理由を問う”という作業は、ゴッホの「狂気」や「絶望」を、「創造性」や「真実」へと高めさせたのですが、実は、この“問い”(意識)こそが、ゴッホに「嵐」、すなわち“狂い”を生じせしめていたのです。
つまるところ、以下で証明するように、小林の考察には、「創造性」が「狂気」を増幅させてしまうという「逆の因果関係」が混在しているのです。
「創造性」と「狂気」の関係について
より詳しく言えば、すでにこのシリーズの初回で引用したように、ゴッホの遺骸のポケットには、次のような手紙が残されていました。「そうだ、自分の仕事のために僕は、命を投げ出し、理性を半ば失ってしまい――そうだ――」(J.v.ゴッホ-ボンゲル編『ゴッホの手紙(下)』岩波書店、1970年、283頁)。
要するに、「創造性」が「狂気」を生み出しているという意味です。このゴッホの最期の手紙を小林が見逃すはずがなく、実際、小林は次のように論じています。
「かつて、ゴッホについて書いた動機となったものは、彼が自殺直前に描いた麦畠の絵の複製を見た時の大きな衝撃であった〔中略〕。それほど、この色の生ま生ましさは、堪え難いものであった。これは、もう絵ではない。彼は表現しているというより寧ろ破壊している。この絵には、署名なぞないのだ。その代り、カンヴァスの裏側には、『絵の中で、僕の理性は半ば崩壊した』という当時の手紙の文句が記されているだろう。彼は、未だ崩壊しない半分の理性をふるって自殺した。だが、この絵が、既に自殺行為そのものではあるまいか」(小林秀雄『小林秀雄全作品22 近代絵画』新潮社、2004年、102頁)。
ただ、この文章の直後に、小林は次のように続けます。「彼の尊敬したレンブラントの自画像は、影の中から浮び上る。レンブラント自身は、恐らく影の背後に身をひそめていたであろう。ゴッホの最後に描いた自画像は、明るい緑の焰の中にいる。彼自身の隠れる場所は画面の何処にもなかったのである」〔ルビ――焰(ほのお)〕(同上、102-103頁)。
どういうことかと言えば、小林によれば、「絵の仕事は、遂にゴッホという人間を呑みつくす事はできなかった」。言い換えると、「ゴッホという熱狂的な生活者では、生存そのものの動機に強迫されて、画家が駆り出されるとも言えるであろうか」(以上、同上、92頁)。
注意深く読むならば、以上の小林の記述には“矛盾した論理”が含まれていることに気付きます。というのも、一方で、絵の仕事はゴッホの「理性」を崩壊させつつあったと論じながら、他方では、絵の仕事がゴッホを「呑みつくす」ことはなかったと論じているからです。
「意識」の作用
ところで、ゴッホは「サン・レミイの精神病院に監禁され、病室の窓ごしに見える病院の石垣で区切られた麦畠を、何枚も描いています」が、「その当時、弟宛の手紙のなかで、麦畠を死の影が歩いて行くのが見えると言っている」(小林、前掲『小林秀雄全作品22』、292頁)。
ゴッホが、「サン・レミイ病院の鉄格子越しに、熟れた麦畠を眺め、『純金の光を漲らす太陽の下に、白昼、死は己れの道を進んで行く』のを見てとっていた事を思い出した方がよかろう。彼は、『自然という偉大な本』が、死の影は、生の輝きの到る処に現れて、『殆ど微笑している』と語るのを聞いた。この作画動機は、彼の後期の絵の明るい透明な色調の持つ、言うに言われぬ静けさに繫がる様に思われる」〔ルビ――漲(みなぎ)〕(小林秀雄『小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙』新潮社、2004年、174-175頁)。
小林によれば、ゴッホは「麦畠が語る言葉を聞いた」のです。そして、「彼は、聞こえたがままの声を表現したのです」(以上、小林、前掲『小林秀雄全作品22』、303頁)。だからこそ、ゴッホが感じた「死の影」、ひいては彼自身の精神疾患は、「見る人を何か不安にさせる」のです。この点を捉えて、小林は、「彼の絵には、絵の世界に自足しているという感じがない」と言います(同上、293頁)。
ところが、一方で、このようにゴッホは「意識」で「狂気」を見張ることによって絵を描いたわけですが、他方で、この絵を描く際の「意識」(問い)は「狂気」を増幅させもしていたのです。かくの如き“矛盾した論理”を示すのが、ゴッホが「狂気」の「来襲を直視する、緊張した意識」によって自画像を描いたとする指摘に続く、小林の次の記述です。
「このような精神の緊張に、誰が永く堪えられよう。彼は、もはやこれまでと悟った時に、自殺したのである。私は、オランダで彼の最後の作品「麦畠」を見た時、この絵の裏側に、「私の理性は半ば崩壊した」と弟に報告した手紙の文句をまざまざと読んだ」(小林、前掲『ゴッホの手紙』新潮社、232頁)。