ゴッホの手紙(7)

「逆の因果関係」について

 本シリーズの狙いは、小林秀雄の“構図”を抽出して、その“構図”を批判的に検討することです。すでに検討したように、小林の“構図”とは、ゴッホの精神疾患と創造性との関係にありました。ただ、小林の議論に説得力があるといえども、「狂気」が「創造性」を高めうるという形で、「因果関係」として特定するためには、新たな作業が必要になります。

 その新たな作業とは、「疑似相関」を見破るという作業です。拙稿「自己紹介とブログの狙い」で紹介しましたが、2つの間に「因果関係」が成立していることを証明するためには、以下のような「疑似相関」になっていないかどうかについて検討する必要があります。

 「疑似相関」の1つが、「逆の因果関係」です。それは、筆者の仮説に則して言えば、「狂気」が「創造性」を高めうると思っていたが、実は、「創造性」が「狂気」を生んでいたというものです。つまり、「原因と思っていたものが実は結果で、結果であると思っていたものが実は原因である状態のことを『逆の因果関係』と呼ぶ」のです(中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学――データから真実を見抜く思考法』ダイヤモンド社、2017年、35頁)。

 要するに、「逆の因果関係」の存在を慎重に検証しない限り、「因果関係」を特定することはできないのです。具体的に言えば、小林の“核心的論理”に切り込まなければなりません。なお、小林の“核心的論理”とは、「狂気を直視する」(自己の存在理由を問う)という作業が、「己を知る」ことにつながって、「狂気」を「創造性」にまで高めうるというものでした。

 管見の限り、小林の議論が難解だと言われる背景には、「狂気」が「創造性」を高めると言いながら、同時に「創造性」が「狂気」を生むという論理もすりこませているという事情があります。それもそのはず、ゴッホが「絶望」から「真実」を見出したとき、「真実」は「絶望」を生んでいたのです。今後は、この問題意識に従って議論を組み立てていきますが、より具体的に、ゴッホにとっての「絶望」(狂気)と「真実」(創造性)について考えていきます。

牧師になること叶わず

 さて、ゴッホの弟の妻・ボンゲルは、ゴッホと夫の亡き後、2人の功績を人々に伝えるべく、精力的な活動を展開しました。そのゴッホの義妹は、著書の中で、ゴッホが画家になったきっかけを、2点説明しています。

 第1に、牧師になれなかったことです。ボンゲルによれば、「彼はまだ自分のほんとうの力に目覚める前の段階にあって、1879年から1880年のひどい冬のあいだじゅうずっともがき苦しんだ。とうてい運がよいとはいえないフィンセントの人生のなかでも、それはもっとも苦しみに覆われた絶望の時期だった」(ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』東京書籍、2020年、78頁)。

 1880年「7月、フィンセントは自分の心の底でなにが起こっているかをうちあける、はげしく心揺さぶる手紙(手紙133)を書いている。『……ぼくにとってただひとつ不安なのは、いったいどうしたら自分はなにかしらひとの役に立てるのかということだ。……ぼくはどんな目的のためにも奉仕することのできない、なにもよいことのできない人間なのではないか?』。ひとの役に立ちたいと思うこと、他者に慰めを与えたいと思うことは昔からの欲求だと、フィンセントはのちに天職を見つけたさいにも語っている。『ぼくは絵で、ひとを慰めたい。音楽が慰めを与えるのと同じように』」(同上、79、82頁)。

 「そうして昔からいちばん好きだったことに行き着いたのだ。『自分自身に言い聞かせた……手に取ろう、鉛筆を……描き続けよう。そしてその瞬間からすべてが変わった気がした。……』これは自分は救われたのだという叫びのように聞こえる。そして彼はもういちど言う。『……心配しないでほしい。描き続けることさえできれば……ぼくはやりなおせる』。少なくともフィンセントはようやく自分の仕事を見つけ、それによって彼の精神は平静を取り戻した。自分に疑念を持つこともなくなり、人生にどんな艱難辛苦が訪れようと、この内なる静けさ、すなわち天職を見つけたという確信は、二度と消えることはなかった」(同上、82頁)。

ゴッホの失恋

 第2に、失恋したことです。1881年8月頃、「ついに、その人生に大きな影響を与えるふたり目の女性に出会うことになる。エッテンの牧師館で夏を過ごす来客のなかに、アムステルダムから来た従姉がいた――そのとき、彼女は4歳の息子をかかえた若い未亡人だった。彼女は、心から愛していた夫に先立たれた深い悲しみの中にあったから、みずからの美しさとひとの胸をうつその悲しみが、2、3歳年下の従弟にどれほど深く刻み込まれたか気づいていなかった」(同上、90頁)。

 ゴッホは、自分の想いを彼女に告げたものの、彼女に拒まれた。彼は、その事実を受け入れられず、彼女に手紙を出すのだが、返信がこなかったため、「とうとうアムステルダムまで足を運んだ」。「そこで会うことを拒絶され、ようやく望みがまったくないと悟ったのだった」(以上、同上、91頁)。

 「彼女に拒まれたことがその人生の分かれ目になった。もし彼女がフィンセントの愛に応えていたなら、それをきっかけにフィンセントは社会に出てなんらかの地位を得ようと努力したかもしれない――妻と息子を養うためにだ。だがそれも叶わなくなり、またかつてのように世間的な野心をすべて失ったフィンセントは、その後はただただ制作に没頭し、自立に向けて一歩踏み出すことすらしなくなってしまった」(同上、91-92頁)。

 まとめると、ボンゲルによれば、以上の2つの「絶望」が、画家になるという「真実」へゴッホを導いたのです。つまり、「反事実」を用いて、「絶望」が「真実」の原因であることを突き止めるならば、次のようになります。仮に、牧師になれていれば、あるいは、愛する人と結ばれていれば、ゴッホは画家にはならなかったであろう。

 まず画家という仕事につくことが偉大な作品を生む出発点になるわけですが、そのきっかけは「絶望」であったという点を理解せねばならないのです。その「絶望」の中で、ゴッホは、自分とは何者なのかと、自分に問いかけたのです。ゴッホの「狂気」や「絶望」を、「創造性」や「真実」へと変化させたのは、“自己の存在理由を問う”という作業だったのです。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

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